前回のつれづれは楽しんでいただけましたか?
「ドキドキハラハラが止まらない!」
という声も聞こえてきます。
私にとってはよくある体験なので、
皆さんも結構あるのかな?
と思って聞いてみましたが…あまりないようです。
海外旅行を4倍楽しむ方法など書いてみてもいいかもしれません。
でも、本当に書いてみたいのは日常生活をドキドキに楽しむ方法かもです。
先日、上海のホテルで出会ったイギリス人のところに笛を持って行ってみました。
家からそれほど遠くない、山の裾野の古民家のゲストハウスです。
以前は、農家の人が住んでいたのでしょう。
隣には納屋が併設されています。
我が家より、より田舎で、何にもないところです。
中に入ると、彼ともう一人の外国の人がいました。
彼は、「この人ドイツの人だよ。」
と紹介してくれます。
早速、ドイツ語で会話してみます。
私の質問はもちろん、
「なんでまた、こんな田舎の何にもないところに来たの?」
です。
今回2回目の日本旅行だそうで、前回は京都あたりにも行ったそうです。
「ここ、とっても気に入っているんだ。」
「えっ?」
「何にもないし、なにするの?」
「ここの周りを散歩するだけで楽しいよ。」
「大学で日本語専攻なんだけど、
この辺で宿を始めたいと思っている。」
「ここは素晴らしい所だよ。」
イギリス人が横から、
「ここは日本の中でも最高の場所だよ、
まあ、自分が住んでいるウェールズが一番だけどね。」

私は思わず、
「えっ、そうなんだ。」
「自分が生まれ育った場所だから、なんとも感じないんだけど。」
と言います。
そういえば、尾瀬で知り合った東京の人も、
この辺りにしばらく居た、と言っていました。
他の国の人達の眼を通して、
自分の住んでいるところを再認識する感じです。
唐津の家から福岡の店に行くときに、海岸線に沿って車を走らせます。
広い海原のところどころに島が点在します。
海はその時々で、違う色合いに染まります。
ふと思ったことがあります。
「この風景って、自分があこがれていた
海外の幻想的な海の風景と似てるかも?」
普段から接して、慣れてしまっているけれど、
実は素晴らしい場所なのかもしれません。
そう思えたほうが良いですよね。

NPO法人の主催で、
先日、我が家に地域の人や唐津近郊の人たちが30人ほど集まり、賑わいました。
その中には福岡の知り合いの人も偶然混じっていて、お互いに驚いてしまいました。
我が家は以前村役場だったところを祖父の代に改装して住宅にしていました。
祇園さんのお祭りの時には、地域の人たちがたくさん訪れ、接待で大忙しでした。
まだ地域のしきたりのようなものが残っていたころです。
そのころと同じように今回たくさんの人が集まりましたが、
人を介して集まってくる人たちのつながりが全く違うのが面白いと思いました。
地元の人たちと遠くから唐津へやってきた人たちが一堂に会しています。
そして、口々に
「ここ良いね!」
の連発です。
いくらかのお世辞は入っているとは思いますが、
「そうなんだ…」
と思ってしまいます。
お祭りの風習はなくなり、
「家に帰って来い。」と言った父も母もいなくなり、
残された物たちがそのまま残っていました。
そして、私も取り残されてしまいました。
私は、というと、自分の教室の荷物や興味で集めてしまったものなどがあり、
とても親の物に手が付けられない状態でした。
そんな中、家の前の道路が拡張され、
家の一部を切り取ることになり、
改修に補助金が出ることになりました。
その機会に、次男が家を民泊にしたいと言い出しました。
それから、家の大改造と、荷物の大整理が始まりました。
私の方はザーレムライアの引継ぎや、店のこともあり、なかなか時間が取れません。
そして、壊れたものを直すのにとても喜びを感じる性分なので、
「これは何かに使えるかも?」
となかなか捨てきれません。
そんな中、息子は次々に捨てていきます。
そんな息子の行為に、
「もったいないのに!?」
「なんで捨てる?」
といういらだちを感じつつも、
自分ではできないことをやってくれている感謝の念も起きています。
面白いのは、古いものはどんどん捨てていくのに、
「これいいやん!」
とより古いものは取っておこうとします。
いわゆる古民家的な、ふすま、障子的な物を好む傾向があります。
「あまりそういう環境で育ってないけど?」
と不思議です。
私たちが育った高度成長期のベニヤ的なプラスチック的な物はどんどん捨てられていきます。
私の好みのどちらかというと木の床と無機質な白い壁という方向性とは全く違うようです。
慣れ親しんでいた、自分が長年住んでいたところが自分の手から離れ、
オープンになっていきます。
自分では変えられなかったものが、どんどん変わっていきます。
どうなっていくか、身を任せてみよう。
「今世ではできないかもしれない…」
と諦め気味だった荷物の整理にも光が見えてきました。

これまで、自宅の一階の工房では、
いろんな機械を揃えてイスやテーブル、棚などを作ってきました。
それから、キンダーハープなどの楽器類を作ってきました。
そのせいもあり、様々な木材で溢れかえっています。
木材こそ、
「この板はどこかで使えるかも?」
とたくさん取ってしまっています。
ザーレムライア引継ぎに向けて、工房も
ペロルライア制作工房として、リニューアルしていかなくてはなりません。
なかなか、大変ですが、一歩一歩進めていきたいと思います。
私自身はこの田舎が重たくて、
「どこかに行ってしまいたい。」
「遠く離れた場所で暮らしたい。」
といつも思っていました。
長男として家に戻るのがとても嫌で、
自分の子どもたちにはそんな思いをさせたくないと思い、
そのようなことは一言も言いませんでした。
ところが、どこにでも好きなところに行っていい子どもたちは、
この地域をこよなく愛して住もうとしています。
この場所に戻って、すでに35年ほど経ってしまいました。
思い返してみると、シュタイナー教育との出会い、
ザーレムライアとの出会い、
ザーレムライアを引き継いだペロルライアの制作と
不思議なつながりでここまでやってきました。
そして、この場所がなくてはならない場所になり始めています。
毎回ドイツに行くたびに、その場所が特別の場所ではなく、
こちらの日常の一部になり始めているのを感じます。
いよいよ来年はドイツからニーダー氏が日本にやってきてくれます。
そして私の工房にも来てくれます。
切り離されていた特別なものが、日常とつながっていきます。
2026/09/18 井手芳弘
