2度目の中秋の名月(栗名月)を過ぎて、
いよいよ、お日様の光が木々や草たちに、
より優しく、静かに語りかけているようです。
それと同時に、自分の心の中も、
なんだか静かで優しくなっているような気がする今日この頃です。

それぞれの季節が訪れるたびに、
その季節が一番好きだと思うのですが、
秋が来ると、やっぱりこの季節が一番だな
と、特に強く思うのはなぜだろうと、いつも不思議に感じます。
なんだか自分自身に戻ってきたような気がするのは、
この季節に生まれたことも関係しているのでしょうか。
季節とともに、自分の年齢も秋という季節にぴったりになってきました。
気が付いてみると70歳。
浦島太郎状態です。
若い頃からの趣味である日向ぼっこも、
ずいぶんと長く続いてきたな、とつくづく思います。
最近では名前を変えて、「太陽瞑想」と呼んでみたりしています。
若い頃に「年を取ってもこの趣味だけは続けているだろう」
という予感がありましたが、当たっていました。
気が付けば、まさにその年齢になっています。
年月が過ぎるのは早いものだ、とはよく聞く言葉ですが、確かにそう思います。

時折、若い頃に自分がやってしまった恥ずかしい出来事がフラッシュバックして、
発作的に声を出して頭を抱えることがあります。
恥ずかしさで、いたたまれなくなるのです。
齢を重ねればそれだけそのようなことが増えてきます。
黙々と木工作業をしているときなどに、そんなことが起こります。
最近、それを克服する魔法の言葉を思いつきました。
それは、
「若気の至り!」
です。
今の自分から若い頃の自分を切り離してしまうという、
ちょっと卑怯な手ですが、これが結構効果があります。
「あの頃は若かったんだ。仕方ないよね」
と思って、切り離してしまうのです。

前々回のつれづれで、「DIYの勧め」というテーマで書いてみましたが、
先日、我が家の台所の排水管が詰まって、床が水浸しになりました。
DIYの勧めを書いている以上、実践しないといけません。
早速、シンクの下の蛇腹のホースを掃除して、直ったかと思いましたが、
後になって、やはり水が漏れてきました。
そこで今度は、床下の排水管を手持ちの針金やワイヤーなどで掃除しようと試みます。
しかし、うまくいきません。
息子がやってきて、
「業者に頼もうか?」
と言ってきます。
「土曜の夜だし、業者を頼むのは気が引けるので、まだやってみる。」
と答え、何とか自分でやってみようと頑張ってみます。
本当はケチな性分なので、業者に頼むお金がもったいないから、
と思ってしまうのかもしれません。
次の日、ダメもとでDIYショップに専用の工具を買いに行き、
悪戦苦闘しながら、配管のヘドロや油の白い塊と格闘します。
業者さんの大変さを味わいながら、
「業者に頼んだら?」
という言葉を背中に受け、
「とにかくやれるところまでやってみる。」
と少しイラつきながら答えます。
そして、先が見えない中で頑張り続け、とうとう成功しました。
「バンザーイ!」
喜びもひとしおでした。

おさらいとして、YouTubeで配管掃除の動画を見ていたら、
すっかりはまってしまい、さらに時間を使う羽目になりました。
「こんなことに時間を使うんだったら、
業者に頼んで、自分の時間を自分の仕事に回したほうが良いのに。」
と、よく言われます。
そもそも、最初からそんなに時間がかかるとは想定していません。
毎回そうです。
物事の読みが甘いため、どんどん深みにはまっていきます。
ペロルマリンバ用の材料が余っていたので、
数日前、アウリスのシロホンダイヤトニックの台座に、
パドックの音盤を取り付ける作業をしました。
パドックと言えば、コンサートマリンバに使われている最上級の材料です。
ペロルマリンバは、それまでもとても美しい響きで、
これ以上の響きはないと思っていたのですが、
音盤をパドックに変えたことで、それはそれは素晴らしく美しい響きに変貌しました。
そこで、
「シロホンの音盤をパドックに換えてみたらどうなるだろう。」
「きっと素晴らしい音になるに違いない。」
と思って始めました。
音盤の長さと穴の位置を計算し、
材料を削り出して台座に乗せてみました。
そして、調音する前に打棒で叩いてみました。
思った通りの素晴らしい響きです。
音盤が響き渡っている感じです。

ところが、そんな中で、2音ほど気になる音が出てきます。
確かに、もともとの音盤よりは響いているのですが、
他の音盤があまりに良い響きなので、
それと比べると少し詰まった感じがします。
「えっ!?」
「パドックって、すべていい響きじゃないの?」
新たな認識です。
そこで、あらためて音盤を削り出して叩いてみます。
「えっ、これもダメ?」
「木目の方向に問題があるのだろうか?」
作っては試し、作っては試しを繰り返しているうちに、
音盤がたまっていきます。
簡単に終わるはずだった作業が、
どんどん深みにはまっていきます。
「真実は小説より奇なり」という言葉が、
頭の中で何度も繰り返されます。

よく人に、
「物事には、
難しそうに見えて、実際にやってみると結構簡単なこと、
簡単そうに見えて、実際にやってみると、とても大変なことがある。」
と言います。
一見難しそうなことに取り組むときは、
「同じ人間のやっていることだから、やれないことはないかもしれない。」
と自分に言い聞かせて取り組みます。
以前、キリスト者共同体の司祭であるミヒャエル・デーブス氏の
『パーシバル』の講座で、
とても役に立つ話を聞きました。
聖杯の騎士団についての話です。
聖杯の騎士団は、人に気づかれないように、人を助けているのだそうです。
自分たちの存在を知られてしまうと、助けられる側がその存在を頼りにしてしまう。
だからこそ、自分たちの存在を隠している。
そして、人が自ら動き出そうとしたとき、
その人に寄り添い、そっと手助けをするのだ、という話でした。
思い返してみると、
聖杯の騎士団に助けてもらったことが、
たくさんあるように思います。
わざわざ、この遠い東洋の日本というところまでやってきて、
手助けしてくれるなんて、なんとありがたいことでしょう。
前回の小人さんといい、
この聖杯の騎士団といい、
感謝してもしきれない存在です。
「ありがとう!」
ただ最近は、
「世の中には、想像できないほどの能力を持ったすごい人がいるのかも。」
と、尊敬とあきらめが混じった気持ちになることが多くあります。
歳をとったのか?、
人間ができてきたのか?
たぶん、その両方だと思います。

「とにかくやってみる」ということの弊害は、
恥ずかしいことが未だに起こることです。
やったことのないことなので、
想定外のことが起きてきます。
そして、いろいろとやらかしてしまいます。
何をやらかしたか、今は思い出せません。
認知が入ってきているせいなのか?
無意識にブロックしているのか?
この場合は、何と言って克服すればいいのか、
まだ分かりません。
「皆さん、教えてください!」
2026/11/6 井手芳弘
