明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今年は遅めの挨拶となってしまいました。

お正月を祝うかのように、
夜空では木星がふたご座の中でさんぜんと輝いています。
ところで、今年でライア誕生100周年を迎えます。
ライア発祥の地、スイスのドルナッハでも、
夏に100周年を記念してのお祝いの大会が開かれます。
九州からもたくさんの方々が参加されます。
そんな中、ザーレムライアを引き継いだ
ペロルソロソプラノライア
が誕生しました!
<パチパチパチ>

一台目のライアはザーレムライア工房のニーダー氏からも
高い評価を受けました。
ライア演奏家の方々からも、
その響きに感動していただき、
すでに数台のライアをご注文いただいています。
有難いことです!

現在、ライアの材料も揃い、
いよいよ2台目、3台目の制作に取り掛かっています。
2台目はケヤキの木、3台目はヤマザクラです。
不思議なことに、
「ライアの材料が欲しい!」
と願っていると、
どこからともなく材料が降ってきます(現れます)。
多分、日ごろの行いが良いからでしょう!
山で知り合った人が、
たまたまヤマザクラの材料を持っていたり、
通りかかった小さな材木屋さんに
長年大切に保管していたケヤキ材があったり、
と必要な材料がやってきます。
製作の過程も逐一ニーダー氏の作業を見てきました。
もちろん、見ることと実際やることの違いは痛いほどわかりますが…
運がいいことが重なっています。
ありがたいことです。

そもそも、なぜ私がライアを作るようになったかというと、
あるとき、私がいつものように、ドイツで研修しているときに、
ニーダー氏から話があったことから始まっています。
「ドイツでずっと後継者を探してきたが見つからない。」
「それで、来年の一月でライアの販売をやめることにする。」
「ほかにやりたいことに専念したい。」
「それで、相談だが、Yoshi、お前が作ってみるか?」
と言われたのです。
私は2つ返事で
「はい、やってみます。」
答えました。
出来るか、出来ないか、はさておき、
とにかく、やってみようと思ったからです。
自信がなかったわけではありません。
これまで、毎年ニーダー氏の工房で修行をしました。
それで、全体の流れも熟知していました。
これまでクロッタ(小さなチェロのような楽器)を20台以上作っていて、
それなりの経験も積んでいました。
数百台に及ぶキンダーハープ作りの指導もしてきましたし、
ペロルキンダーハープも数百台作ってきた経験があります。
私の木工人生は幼児の頃にさかのぼります。
家の隣に、指物大工さんの工房があり、
いつも、シュッ シュッというカンナを削る音が響いていました。
中に入ると、たくさんの鉋屑とヒノキのいい香りが漂っていました。
中学校の時には、技術家庭科で椅子を作るという授業がありました。
他の子たちは、学校の機械を使って
先生にカンナ掛けや穴あけをしてもらっていましたが、
私は自分のカンナやノミを使ってすべて自分で作業しました。
そのころからカンナの刃を自分で研いでいます。
なかなかうまくなりませんが…
ドイツから戻ってからは、
足しげく注文家具職人の工房に通い、
仕事がないので知り合いの人たちから木工の仕事をもらって、
テーブルやいすを作っていました。
おのずとライアを作る準備が整っていました。
そもそも、私がライアに惹かれていったのは、
ライアという楽器の奥深さと、
ニーダー氏のライアに対する思いです。

一つは材料の選定から作業工程に至るまで、
私の想像をはるかに超える奥深さです。
それは、木の特質や楽器の響きを熟知したところから来ています。
もちろん、バイオリンなどの伝統的な楽器から引き継がれたものもあります。
そして、そういうものに対する敬意です。
もう一つは、ニーダー氏が初代ゲルトナー氏から受け継いだ、
ライアインパルス(ライア衝動)です。
「ライアという楽器は、
人の中にあってその人を支えている<私>という存在を
生き生きと強める楽器である。」
という考えです。
この考えを指針にして、
妥協せず、たゆまぬ努力をしてきたニーダー氏の姿勢です。
ニーダー氏は事ある毎に、このことについて話をしてくれました。
そのライア衝動のほんの少しでもいいから、
引き継ぐ手伝いが出来たら、
という思いがあります。

これから、ペロルで生まれるライア達が
いろんな人たちに手に渡って、
奏でてもらい、
その響きが広がっていく
と想像すると、とても楽しみです。
そのことを励みに、
日々作業していきます。
2026/01/16 井手芳弘
