2002年の春、私は楽器鍛冶屋マンフレッド・ブレフェルト氏の工房を訪れていました。
そこで念願だった、響きの楽器を作る体験をしている時のことです。
「自分の知り合いにライア制作者がいるけれども、会ってみないか?」
ブレフェルト氏の何気ない一言が、
その後22年続く関係の始まりでした。

当時の私は、ザーレムライアという名前すら知りませんでした。
「とりあえず、会ってみよう」
そんな軽い気持ちで訪ねたのが、
ホルスト・ニーダー氏との最初の出会いでした。

ザーレム工房を訪れてから、
アルプスが望める野原を散歩しながら、
ニーダー氏の話をずっと聞きました。
「ザーレムライアって聞いたことないけれども。」
という私の言葉に、
「ドイツでは、ゲルトナーライアより知られていて、
ライア演奏者たちとの密なつながりがあるんだ!」
と力を込めて言われた言葉を今でも覚えています。

彼のこれまでの大変な日々についての話を聞き、
「何か手伝いができれば」
という気持ちで関わり始めました。
まさか、これほど深いつながりになるとは思いもしませんでした。
それから22年、たくさんのザーレムライアを日本の皆様にお届けすることができました。

ザーレムライア工房は南ドイツ、
ボーデン湖から北に15km程離れたハイリゲンベルク(聖なる山の意味)という高台にあります。
辺りには広い牧草地が続いていて、
工房から少し歩くと、天気が良くて空気が澄んでいる時は
草原の遥か彼方に、スイスからオーストリアに続く壮大なアルプスの山々を望むことができます。

最初の工房は、この場所から20Kmほど離れたザーレムという町の古いザーレム駅を改築したものでした。
ザーレムという名前はこの地名から取られています。
ただ、目の前が大きな道路で、交通量が多く、子どもたちにとっても危かったようで、
たまたま、今の工房となる古い農場が売りに出ていたのでこちらに越してきたそうです。

彼はいつもこの場所を「世界の果て」と呼んでいます。
この世界の果てへ多くのライア演奏者が
聖地の巡礼のように訪れています。

私はこの場所に、毎年通い続けました。
何度訪れたことでしょう。

訪れて、研修をするたびに、新たな学びがありました。
木の伐採の方法。
製材した木の乾燥のさせ方。
深い響きを生み出すためのライアの構造や板の種類や厚み。
弦づくりの方法。
数を上げれば切りがありません。
どれをとっても、なるほどと感心することばかりでした。
実際に、制作をしていく中で明らかになっていきました。

それまで私は、ライアは単純に板を張り合わせて作るだけだと思っていました。
恥ずかしいばかりです。

訪れるたびに、この楽器の奥の深さに、どんどん興味が深まっていきました。
ニーダー氏から学んだのは、技術的なものだけではありません。
「気乗りがしないときは作業しないほうがいい。」
「他の作業をするか、散歩をするかだね。」
「とにかく作業に集中することだ。」
「やる気がないまま作業するとライアにもよくない。」
このように、どのような姿勢でライア作りに向かうべきか、も学びました。

<ライアとはどのような楽器であるか>も学びました。
このことは、また詳しく書いてみたいと思います。

楽器のことだけではありません。
アントロポゾフィーについても深く学ばれており、
ライア作りの実践を通したお話は本質を突いていました。

ライア事情に関しては、
ニーダー氏とライア制作者や演奏者との直接の交流から
話をたくさんしていただき、詳しく知ることができました。

訪ねていった国々の内情や世界事情のこと、
もちろんニーダー氏自身のこれまでのことなども、
話は多岐にわたり、尽きません。
朝食のテーブルがそのまま昼食のテーブルにつながることもありました。
それだけ貴重な時間を割いていただいたのは、ありがたいことです。

ニーダー氏は常にライアの発展について考えています。
ライアの世界大会では孤立しがちなライア制作者たちに声をかけ、
一堂に集めて交流に尽力していました。

私自身も工房に訪れたライア演奏者の方々と知り合うことができ、
ライアに関する生の声をたくさん聞かせていただきました。

私がザーレムライア工房を訪れるのはだいたい3月から4月にかけてで、
イースターのお祭りに重なることがよくありました。
それでよくイースターの行事に一緒に参加させていただきました。
楽しい思い出です。

イースターの朝には、夜明け前に起きだして、
無言で泉に向かいます。
ある泉に行ったときは、
20人ほどの人々が集まっていました。
皆さん、シュタイナー関係の方たちばかりで、
層の厚さに驚きました。
R・シュタイナーが書いた魂の暦の朗唱から始まり、
その後はみんなで歌を歌います。
側の休息所の壁には魂の暦の詩が透かし彫りされている
という徹底ぶりです。
「Frohe Ostern!フローエ・オースタン
(イースターおめでとう)」
とお互いにあいさつを交わした後、
泉の水で目と顔を洗います。
<イースターの日に泉の水で目を洗うと目がよくなる>
という言い伝えがあるようです。
その後、空瓶に水を汲んで持ち帰ります。

その後、子どもたちのイベントとして
お決まりの、庭でのイースターエッグ探しが始まります。
ニーダー氏には4人の娘さんがいて、13人のお孫さんがいます。
イースターには全員集まってくるので壮観です。
いつも、孫の多さが自慢です。
エッグ探しが終わった後、総勢21人で昼食です。
工房に併設されたホールにテーブルが並べられ、
テーブルの上にはパン、サラダ、果物、などが所狭しと乗っています。
忘れてならないのはウサギのケーキに色とりどりのイースターの卵たちです。
卵にはユーモアに満ちた言葉が書かれています。
さながら王様の晩餐会のようでした。

2021年には工房35周年(コロナで実際は37周年になりました)の記念パーティがそのホールでありました。
50名ほどの参加者を想定していたのに、
100名ほどが集まり、盛会だったそうです。
ゲルトナーライア工房時代の先輩であるヴォルフ氏も来られ、
大変喜ばれていたそうです。
ニーダー氏も彼に工房を紹介できて、とても嬉しかったようです。

私は別の予定が入っていて参加することができず、
とても残念でした。
後で聞いた話ですが、
ニーダー氏にとってこの記念パーティーは、
ライア人生の集大成だったようです。

日々、ライア作りの合間には、
コーラスの練習、
アントロポゾフィーの研究会、
などに参加し、研修に余念がありません。
夜は夜で事務所にこもって事務仕事です。
ぽつりと、
「もう何年も、休暇を取っていない。」
日本人以上の働き者です。

こう書いていると、
ニーダー氏はとても厳格で求道者のようですが、
実はとてもユーモアにあふれています。
工房には、ユーモアあふれる言葉やイラストが張られています。
また、彼は道化のセミナーに通っていて、
孫たちと道化の劇をするのが楽しみだそうです。

あるとき、ニーダー氏はしみじみと言いました。
「これで、すべての借金を払い終わった。」
話を聞くと、これまでたくさんの借金を払続けて来たそうです。
工房件住居の建物も、かなりの部分手作りしていて、
「すごいな!」
と感心していたのですが、
これもお金がなかったので、
かなりの部分自分で作業をしたそうです。

息子さんが亡くなられたときも大変な日々でした。
これらの、大変なことを抱えながら、
<日々の地道で実践的な作業の積み重ねとライア作りを通して、
アントロポゾフィーの学びを実現させていこうとする姿勢>
その生き方から本当に多くのことを学ばせていただきました。
心から感謝です。

今思うと22年という歳月は技術の継承を超えたものでした。
世界の果て」への巡礼を続けつつ、
ニーダー氏から受け継いだものを、
ペロルライアを通じて、
すこしでも日本の皆様にお届けできたらと思います。

次回はペロルソロソプラノライアの一台目が完成するまでのお話をします。

2026/02/20 井手芳弘

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