レンタカーを返し、列車で一路青森に向かいました。
青森は宿が空いてなく、やっと見つけた宿は
20時までに着かないと泊まれないところでした。
それもそのはず、青森市ではねぶた祭りが始まっていたのです。
人や動物などの巨大な山車が
内側にともされた灯りで提灯のように輝いている映像が
焼き付いています。
暗がりの中、何台もの山車が巨大な怪獣のように集まり、
うごめいているイメージはまるで異界のようです。
ねぶたが見れる!
棚からぼた餅状態に心ウキウキです。
列車の遅れもあり、少しヒヤヒヤしながら
(いつもの状態と比べるとレベル1程度)
なんとか、宿にたどり着きました。
宿は青森駅のすぐ近くで、
ねぶた祭りもその近くで行われているとのこと。
早速、荷物を置くと街に繰り出しました。
街角を歩くと遠くから太鼓の音が聞こえてきます。
「うーん!この感覚どこかで味わったことがあるぞ!」
と心も浮き立ってきます。
音を頼りに進んでいくと、大きな通りに出ました。
そこには、たくさんのねぶたが出そろって、行進しています。
想像していた、ゴジラが寝ているような
巨大な物と比べると、常識的な大きさでしたが、
それでも迫力は満点です。
高さを競っている能代の山車と比べると平べったい形です。
「そうだよね。人が曳くんだからね。これくらいの大きさだよね。」
自分の思考の問題点を修正しながら、一台に付いていきます。
屋根付きの沿道の商店街の店では、
いろんな食べ物を並べて売っています。
晩御飯を食べてないので、途中で食べ物を買って、
食べならが付いていきます。
歩道にはたくさんの見物客がいますが、
それでも歩いていけない込み具合ではありません。
初日あたりで、まだ人が少ないのが幸いしたようです。
ねぶたの山車は少人数の人が曳いています。
中が中空なので軽いのでしょう。
その後に、巨大な太鼓を横に5台ほど並べた
幅の広い巨大リヤカーが曳かれていきます。
リヤカーの中央の太鼓には一緒に打ち手が乗り、
左右の太鼓には打ち手が歩きながら、
長いばちで、力強く、リズミカルに叩いています。
見ているだけで、力が湧き上がってくるような光景です。
彼らのカッコよさは半端ではありません。
その後に、笛の一団が続き、
更にその後に若い踊り手の一群が、
頭には花笠をかぶり着物の裾をたくし上げ、
ピョンピョンと飛び跳ねながら、
口々「らっせーらー らっせーらー」とはやし立てながら、
わいわいとついていきます。
それは、北の果ての暗く静かなイメージとは対照的です。
それが過ぎると、次の山車、太鼓、踊り手、と続いていきます。
この踊り手たちのいでたちと飛び跳ね方は、
どこかで見たことがあります。
そう、九州の椎葉の山奥で行われる、
神楽の祭りの時に出てくる踊り手によく似ているのです。
神楽の場合は数人で踊り、踊りとして形式化されている感じがありますが。
ずっと、ずっとついていくと最後には港の方に向かいます。
道路にはたくさんの山車が並びます。
山車は高架の道路下をすれすれで抜けていきます。
「なるほど!」この高架下をくぐらなければならないから、
ねぶたは平べったくしているんだ。
ねぶたの大きさの意味が分かった気がしました。
沿道を歩いているときに、あるお店の中にいるお年寄りに気が付きました。
そのお年寄りは、周りの喧騒とはうらはらに、
静かにしかし、しっかりとした姿勢でねぶたが通り過ぎていくのを眺めていました。
手こそ合わせてはおられませんでしたが、
祈っているような表情でもありました。
「今年も、健康でこうやって、ねぶたを拝むことが出来た。
小さいころからこの地で、毎年夏になるとこうしてねぶたと生きてきた。
ありがたいことだ。ありがたいことだ。」
そんな声が聞こえてきたかのようでした。
夏真っ盛りの中にありながら、暗闇に灯る明かりの祭り、
力強く、喧噪の祭り。
二つの対極を伴いながら、祭りが過ぎていきました。
それは暗い記憶の底で、今でも明るく灯っています。