第34回 空は開けた

秋の日がやってきました。

それまで混然としていたものがまた整理されていく感じがあります。

それは、入道雲でかき回されていた眼前の空にも起こり、私の心の内部でも起っています。

地上近くの地方雲(つれづれ33参照)の帳が消え去り、

リズム雲(中層の薄い雲、龍雲の元)と地球循環雲(高層の霧のような雲)が空高くで、

その雄大な世界を繰り広げています。

秋の一日ずっと空を見続けたことがあります

(というか、子どもの運動会の観戦で、一日運動場の隅に座り続けていただけなのですが)。

リズミカルに並ぶ薄い雲たちが次から次にその模様を変えていきました。

それを背景として、子どもたちが走っている様はなかなかいい感じです。

11月の始めに唐津市で曳山のお祭りがあり、赤獅子を始めとして、

14台の山車が街を走り回りますが、ある頃からその背後に空を意識して見るようになりました。

獅子や兜の後ろに垣間見れる箒ではいたような

ダイナミックな空が太鼓の響きと呼応して躍動していました。

 

そう、シュタイナー教育を学んでよかったのは、

自分の眼前に広がる世界と自分の中にある世界が呼応しているということを知ったことです。

目の前に広がる世界が自分の中にも広がっているということ、

自分の中にあるものが私の周りに見出せるということ、

このことは自分に新たな理解の道筋を立ててくれているようです。

このことは、らせん教室を始めとする講座をやっていく中で、

自分をその考えに集中させることが出来たおかげかもしれません。

また、子どもの頃からの日向ぼっこの趣味にも繋がるところがあり、

本当にシュタイナー教育、ひいてはそのベースとなっている

ゲーテ的な認識に出会えてよかったなあと思います。

 

それは、遠くに何かの知識や真実を探しに行くのではなく

(とか言ってこのことをドイツで学んできたのですが)自分の身近に、

そして自分の中に秘密が隠されている、

まだまだ自分の身の回りのことで知らないことがたくさんある、

それは、自分の中にも知らないことがたくさん詰まっている、

ということを知らせてくれているように思います。

 

いずれにしろ、日向ぼっこの世界の中から何かが始められるのは嬉しいことです。

そうそう思い出しました。

日向ぼっこに一番いい季節は早春の頃だといつの日か感じていたことを、

確かにその頃は本当に光が当たっているところがなんとも心に暖かい、

懐かしいものを運んでくれます。

でも、今の季節の日向ぼっこもすばらしいということを始めて意識したように思います。

そうでした、この頃は、静まり返った、石のモニュメントだけがある、白い公園で

ただひたすらその深くて長い影を見続けるという幻想に取りつかれていたように思います。

もう一つ必要なのは、煙でしょうか。

ああ、早く仕事を片付けて、白い整理された空間で影見たいよう。

・・・単に、こんな山積みの場所から逃れたいだけなのだろうか?・・・

おっと、忘れていました、誰からの問い合わせも受けていませんが(悲し〜い!)、

前回の答えは、紙と紙の隙間でした。

 

05.09.16
井手芳弘

(*twitter)

@peroIdee

 

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