最近、ポストカードを作るために自分の撮った写真の見直しをしました。
相変わらずの整理のなさ、でほしい写真を探し当てるのに苦労をしました。
また、探し始めると、あの写真、この写真と、その中から4つを選ぶのは至難の技です。
あらためて、自分の撮った写真の多さに驚くことしきりです。
ただ、普段とはちがう見方で物を捕らえる方向を体験してもらおうと
その意識でたくさん写真を撮ってみるのですが、
使い物になる美しさを兼ね備えた写真となると、少なくなってきます。
そもそもの事の起りは、ヴィンター氏の来日でした。
氏の来日に際して人気のあった
ヴェレダのカレンダーのポストカードを作ろうというアイデアが浮かんできたのです。
そして、そのことを話さなきゃ、話さなきゃと思いながらヴィンター氏と電話をしているうちに、
ポストカードの話が彼の口から出てきました。
「エーッ!ポストカードの話しましたっけねー?」と話すと
「そのことは自分で考えていた。」とのこと、
早速話はとんとん拍子に進んでいき、氏のほうから絵の撮影をしたCDが届きました。
それを、かの栗山氏のところに持って行き、印刷を頼むことになりました。
栗山氏は、自分でも絵を描かれ個展をされる方で、
印刷の仕上がりに関してはかなり信頼の置ける方だと思っています。
ちなみに、10年ほど前のつみきやペロルのパンフレットはこの栗山氏のところへ頼んだのでした
(今ペロルのHPを作っていただいている坂本氏は、いたくこのパンフを気に入っていただきました)。
一色刷りで、いかに感じよく仕上げるか、
ということに栗山氏は全面的に協力していただいたのです。
どの紙に、どのインクを入れると、色がどのように変わっていくか、
ということを細かく説明していただきました。
いずれにせよ、最終的にはその人のセンスが物を言うということが分かってきました。
家具にしろ、壁塗りにしろ、最終的に
その人の中にあるセンスが私のセンスと合っていなければ大変なことになります。
どんなに事細かく図面を書いたつもりでも
(当人は一生懸命やっているつもりだけれど曖昧な面が残っているのかもしれない、
いや、残っているに違いありません)、
出来上がってくるものは、言い残した、コントロールし忘れた部分を全く違ったように作られたものです。
その点、センスがあっているというか、
信頼できる人は取りこぼしたところをうまくカバーしてくれる感じがあります。
さらに、その道の専門の人たちと一緒に作業することは楽しいことです。
今まで当たり前だと思ってきた機械的な作業が、実は人間の微妙なさじ加減で、
調整されているということが至るところで明らかになってきます。
機械化されて、全て自動で行われると思いがちなのですが、
意外と肝心なところに人のセンスが生きているものだなあと思わされます。
世の中、まだまだ捨てたもんじゃない、と思います。
というか、おちおちしてられない厳しさも感じます。
話ばかりが進んでしまった感がありますが、
技術とセンスの狭間をよく考えることがあります。
例えば木工で何かを作る場合、二通りの極端なあり方が存在します。
一つは、木の特性を全く知らずに(知ろうとせずに)、
自分のデザインをそのものに無理やり当てはめていく、という方向。
もう一つは、木の特性を熟知しながら、
自分の作りたいものが全く見えていない、というあり方です。
いずれにせよ、とても奇異なアンバランスなものができていきます。
やはり中庸が大切かな、と思います。
今回、4枚の自分自身のポストカードを作りました。
さまざまな写真の中から、水面の写真を選びました。
ただ、やはり客観的に見てみて、素人の作品である、ということを実感させられました。
そう、なんでもそうだった。
実際にやってみることで、自分の自尊心や自信は吹き飛んでしまった。
シュタイナー教育だって、ドイツ語だって、店のことだって、
自分でやってみて自分の程度が痛いほど分かってしまった。
そうだよね、やらなきゃ、手を染めなければ、そんな目にあわなかったのにね。
あーあ、相変わらず自信のないまま年を取っていく。
性分だね。
でも、開き直るのも性分。
「どんなに恥じかいたって、じたばたしてやる。」そんなにスマートに物事進むわけないし。
早く開き直ろう、早く汗をかこう、身体を少しウォームアップして駆け抜けよう。
2005.10.07.