アレキサンダー・ヴィンターさんの講座はなかなかのものでした。
と言うか、なかなかのものだ、などと余裕をかまして眺めているより
遥かかなたにすばらしい講座でした。
アッ・アレキサンダー・サンダー!(あっ!アレキサンダーさんだー!)
と言う駄洒落で始まった出会いでしたが(?)絵を描くという行為が、
こんなにも自己鍛錬の道につながるなどとは考えても見ませんでした。
今回18名ほどの参加者が5日間に渡り、朝から夕方まで絵を描くという体験をしました。
私はと言えば、ヴィンターさんに金魚の糞のようにくっ付き回り、
それぞれの人たちの助言を始終訳していました。
ヴィンター氏は一人の人から次の人へとひっきりなしに歩いては
各参加者に適切な指示を与えたり、少し描き込んであげたり、
と、ほとんど休む時間もなく何日も授業をしていただきました。
あらためて、そのバイタリティと集中力に感服したところです。
そんな中で、氏はたくさんの言葉を与えてくれました。
それは単なる机上の空論ではなく、
実際に目の前にある自分自身の表現としての絵画に具体的にどう取り組めばいいか、
という内容でした。
残念ながら私自身は描くことが出来なかったのですが、
その分たくさんの言葉をヒントとしていただきました。
今度はその言葉を実際に自分の絵に当てはめてみたいと思います。
講演会、講座もとてもすばらしいものだったのですが、
参加者の数が今二つだったのが残念でした。
で、それにしても私自身は、遥かに限界を超えさせていただいたように思います。
最近、らせん教室で水面の影の観察をしました。
ただ、その日は残念ながらもう少し、というところでお日さまが出てきてはくれませんでした。
それで店の近くで写真撮影ということになりました。
これは、何の変哲もない単なる排水路の写真です。
「これに一体何の意味があるのか?」って思いますよね。
それでは影が何処にあるか分かりますか?
「影、そんなもんそこにあるじゃんか、何つまんねーこときいてるんだよぅ。」
「どこですか?」
「え〜っ!ほら上にあるだろう この黒いのだよ。」
「ああこれですね。それではその下の薄い色のものは何でしょうか。」
「えっ!って……なんだろう?」
「これが本来の影なんですよ。」
「じゃあ、上のものも影なんだよね?」
「上のものは水に映った壁の像です。」
「えっ〜、ってこれは影じゃないの。」
「なんか 頭がこんがらがっちゃった。」
水は多種多様なものを映します。
そして、本来の影はなかなか気がつきにくいのですが、
よく観察してみると、光が射している所は水底が透けて見えています。
影が射したとたんに、その部分は水底を映しにくくなり、
その代わりに空や周りの景色を映しやすくなります。
でも、その中で暗いものを映すと再び水の底を透かして見せ始めます。
影だと思ったのは、実は壁の暗い面が映っていたのでした。
このように、現実というものは
とても複雑にいろんなものが織り成されているものだということが分かります。
これっていつも思うのですが、人の心のあり様のようです。
これは、ある朝の雲の写真です。
なんか、とってもシュタイナー関係のところで見られる絵画の雰囲気に似ていたので載せてみました。
「これもいつかポストカードにしようかな。」などと、つい性懲りもないことを考えてしまう今日この頃です。
2005.10.21.