第37回 秋の展覧会

先週の土日にラウムで福岡シュタイナー教室の作品展が行われました。

今年で二回目になります。

子どもたちの作品展以外に、手作りを体験する手作りコーナー、

それにお母さん方が作られたものを売るバザーが行われます。

お母さん方やお父さんが土曜日9時ぐらいから集まり、みんなで準備をします。

昨年は思いのほかたくさんの方々がこの作品展もしくはバザーに来ていただき、

大変にぎやかになったのを覚えています。

今年も、やはりたくさんの人が来られました。

それにつけても、お母さん方のパワーには感服します。

ペロルのほうで私がどんなにがんばったって、

この人出のほんの一握りを集めることも出来ません。

そして、その集まった手作りの見事なこと。

本当に感心してしまいます。

もちろん手作りコーナーにも子どもたちがたくさん集まり、手作りを楽しんでいます。

その手作りの手伝いをしてくれているのも、教室の子どもたちです。

とっても頼もしくなったとうれしい限りです。

今年で2回目のこの作品展、実はラウムで行うのは2回目ですが、それまで結構長い歴史があるのです。

昨年、教室をこの場で行うことになったのですが、それまである公民館に長いことお世話になっていました。

その公民館の主事さんがとても理解のある方だったのです。

それはあることをきっかけとしていました。

教室に来ているある男の子がこの教室に通ううちにとてもいい感じに変わって行ったということでした。

「この子がこんなにいい感じに変わるならきっといい教室に違いない。」

ということでとても応援していただきました。

まあ、私からすると、そのこはもともとそのように成長する子だったように思います。

でも、その子のおかげで長い間、その主事さんがやめられるまでの間お世話になりました。

 

その後は、西福岡教会にお世話になりました。

公民館にお世話になっている間は、公民館の文化祭にいっしょに参加させていただき、

教会のときは豊田先生のお世話で西部ガスミュージアムにて作品展をしてきました。

いわゆる、いろんな場所を借りてやってきたわけです。

その頃には、どこか自分たちの活動の場所を造りたいものだ、と願っていました。

まがりなりにもその願いがこのラウムでかなったわけです。

 

言い訳をするようですが、

私自身が活動を広めることは力が足りませんでした(どれだけ力が注げたか分かりませんが)。

先生家業しかしたことのない人間が、自由業的な中で人並みの収入をあげて、

家族を養っていくことさえままならない状況です。

そういう人間が、ボランテア的な活動に時間を割いていった挙句、

どういう結果になるか目に見えるような気がします。

 

そういう中で、学校を作らないのですか?という問いかけをされて、いやできません。

と答えたときの相手の落胆振りがとても心に痛い感じでした。

(まあ、いいさ、一生懸命にやってきたんだって、自分に言い聞かせてもいいかもしれない。)

まあいいさ、これだけのことしか出来ない自分だけど、それなりに一生懸命にやってきたと思おう。

確かに、東京や、京田辺や、北海道や、那須の活動とは

比べ物にならないくらい小さなものかもしれないけれど、

自分のやれることを自分の課題としてやっていこう。

教室の皆も一生懸命関わっていただいているし。

あるとき思ったことがありました。

東京にこれだけの人材がそろっている。

それで、このような歩みがある。

福岡や佐賀での歩みがのろいのは私がふがいないせいだけでもないよね、って。

なんだか、愚痴っぽくなってしまいました。いかん いかん。

 

さて、この写真はみずいろ(小学生未満のクラス)と

みずたまり(小学校1年生〜3年生のクラス)のクラスの作品です。

ほとんどが濡らし絵(紙を水に湿らせておいてそこに三原色の絵の具で描いていく手法)

の作品を描いています。

眺めれば眺めるほど、子どもたちの心の中の世界がそこに描き込まれています。

この頃の子供たちの絵は、あっけらカーンとして、そこに永遠に存在しているような感じです。

 

これは、みずすましの子どもたちの作品の一部です。

全部載せられなくてすみません。

世界がとても足元に来た感じがあります。

 

これは中学生のクラスの水絵のクラスです。

木彫りや金属加工など、さまざまな活動が可能になってきます。

子どもたちも、しっかりとして頼もしくなってきますね。

どういう形にしろ、自分たちの場が、

何かを温められる場があるということはつくづくいいことだな、と思います。

 

2005.11.04.

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