第39回 迎え火

追い詰められるって、いつものこと……。

私はらせん教室の講義録に追われ、

店のHPに追われ(自分で追い詰めているだけのことですが)

それまで、ずっと家に寝ているしかなかった私は、とうとう文章を書くために旅に出ました。

というか、紅葉を見ることもなかったし、最近ゆっくりと景色を眺めることもなかった私は、

筑後川に向けて出発したのでした(まあ他にもいろいろあるし)。

結局、夕方に出発したために、

何処へ行っても景色を楽しむこともできず、

筑後川の堤防に車を止めて(夜で不慣れなため河原への降り口がわからず、

車が通る横の高台の上に車を止めて、作業を始めました。

納得できる場所じゃないけど、こんなもんさ……とにかくがんばって文章を書こう。

少なくとも空には星が沢山あるし……。

 

しばらくたって、ふと下の田んぼのほうを眺めると、火が焚かれていました。

辺りが暗くなると、ますます、その炎が明るく目立ってきます。

始めは、あたりのものを燃やしている、程度にしか思っていなかったのが、

なんだか違う感じに見えてきました。

ゲートボール? コートがない。

何らかのお祭りの火? 人が少なすぎる(数人)。

おまけに何も特別なものが周りにない。

<…もう、だめ、我慢できない。 聞いてみないと…後悔する。>

意を決して堤防を下り、その火に向かう。

歩きながら、「俺って(この場合俺に変わる)どうしようもない性格だよな……、

聞かずにはおれないんだよな、どう見たって不審者だよな……。」

そうするしかない自分を笑いながら、歩いていきました。

小さな神社のお堂の横を通り抜け、

立ちかけの集会所のような建物が建っているちょっとした広場には

ドラム缶の底が真っ赤に燃え、

その中に無造作に、廃材の柱が差し込まれ、その側に四人のお年寄りたち。

…どう見たって、廃材を燃して火にあたっているようにしか見えないな…

側によっていくと、

一瞬不審者を見るような目つきで見られるのを感じながら(いつも物を聞きに入るときはこんな感じ)、

満面の笑みととっても普通の友好的な態度で

(同じような態度で羊毛屋さんに夕暮れ時に入っていったとき、

後で、あの時は不気味だったと言われたこともあったなあ)

「こんばんはー、これ何をされているんですか?」

「上に車を止めていたら火が目に付いたものですから。」

一瞬にしてある安堵感が訪れる、よかった。

「これけー、これは迎え火じゃ。」

「出雲大社に会議に行って不在だった神様が今日大社から戻られるのに

場所がわかるように火を焚いとるんじゃ。」

それは、淡々とした、何の飾りもない、

ただ火を焚いてその火を眺めながら、そこに留まるという祭り。

空には満天の星空、真上にはおうし座が陣取り、その横には星座の中を後退している火星、月は出ていない。

そこに火を守る老人(と言ってもまだ若い老人たち)。

「今日はこのあたり、何処でも火を焚いとる、

ほら向こうの部落でも木が明るく見えつところがあるじゃろが、あそこでも火を焚いとるんじゃ。」

はやる心を抑えながら、ゆっくりとひとつずつ質問をしていく。

「どうして、年寄りがまばら?」

「つい最近まで子ども会の行事だったんだが、やめになってな、

火を絶やすわけにはいかんで、だって神様が迷うとたいへんじゃろ、

仕方ないから俺らが火焚いとるんじゃわさ。」

「俺らがちいせえころはよ、

六年生までの子どもたちがさ〜この日に堂守(どうもり)って言ってよ〜、泊まってたんだよ。」

「集まった賽銭をみんなで分けて、せんぺい買いに行ってよ〜、

昔さ、せんぺいしかなかったし、みんなで食べたんだ。」

それから、次から次といろんな話題が彼らの口から出てきた。

 

<時折空を眺めると満天の星空、火星も見える。>

それはこの筑後川がもっと豊かで沢山の魚が取れていたこと、

手長海老の取り方、なまずの干し焼きの話、フナの刺身やそのほかの料理法、

有名な鯉取りまーしゃんのテレビ撮影時の裏話

(鯉取りまーしゃんはなぜか子ども時代に聞き覚えのあった話しで嬉しかった)と伝説。

川魚料理が貴重になって、今はその店には高級車しか止まっていないこと。

漁師が沢山いたこと。

昔の魚は臭くなくおいしかったこと。

昔の学校時代のこと。

今の教育談義。

戦時中にアメリカから爆撃機がやってきたこと

(麒麟ビール工場が立っているところは以前の特攻隊養成用の飛行場があった場所で、

そこが狙われたこと。特攻隊と月光の話。横井さんと小野田さんの話。

結局、昔の生活はコストがかからなかったので、お金を稼がなくてものんびりと過ごせた。などなど……

私が知らなかったこの筑後の場所と精神に、少し近づけたような気がしました。

みんなが帰った後で、

(結局私が最後に残ることになってしまったのだが)、

やっぱ、一人で余韻を楽しむしかないでしょう、

てなわけで、急いで車を走らせ(これだからコストがかかるんだろうな)

コンビニでおでんとお酒を買って火の元に戻ってきたときには、

すっかり火は小さくなっていて、あたりは空の星ばかりに覆われてしまっていました。

…あの四人って、なんだか荒野の中の羊飼いたちみたいだったなあ…

<でも、これでつれづれが悩まずに書ける、このことを書こう>

 

 

もうひとつ火の話題、次回に書くかもしれない日本の鉄作りの写真を載せます。

砂鉄と木炭から鉄を作る過程で出てくるノロ(いわゆる不純物)を出している写真です。

真っ赤なノロが涙のようにとうとうと流れ出て、そのとたんに辺りはカーッと熱くなり、

それが地面の上に流れ、独特のフォルムを作り出します。

それが固まり、冷えていく過程で、ピキピキ、パキンといたるところから音とともに割れていきます。

それは、私の感情の根源的なところに深く触れるような体験で、眺めていて涙が出そうになりました。

作業されている刀鍛冶の人に聞いたら、「いえ、何度も体験しているので感動しません。」と言われました。

 

2005.12.02.

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