第40回 浄化の火

今回は引き続き鉄作りの話を書きたいと思います。

あれは、ちょうど腰を痛めて寝ていたときのことです。

なんとか起き上がり、やっとの思いで出かけていきました。

どうしても鉄作りを体験したかったのです。

思い起こせば、ドイツでのシュタイナー学校教員養成ゼミナールで学んでいる頃、

シュタイナー学校の授業の歴史の授業の中で

、エジプト時代の体験のひとつとして青銅づくりが何かの記事として載っていました。

「すごいなーシュタイナー学校は、こんなことまでやるんだ。」と、ただただ感心していました。

しばらくたって、日本のある記事の中に鉄作りの様子が載っていて、

「鉄作りもできるんだ、すごいな。」と思っていました。

子どもたちとの合宿でも鉄作りをやりたいなーと思っていたので、

その鉄作りが体験できる、それも日本刀の材料となる玉鋼(たまはがね)だ!

といわれた日には這ってでも行かねばならぬ、という気持ちにさせられました。

そもそも不思議なことが山積していました。

どうして、日本刀は玉鋼から作らなければならないのか?

どうして、そもそも砂鉄と木炭から作るのか?

ノロとは何ぞや?

どうして、玉鋼はさびないのか?

???が溜まり、結構フラストレーションを起こしていた矢先でもありました。

布団から起きだし、何とかだましだまし車に乗り込み目的地に向かいました。

 

 

今回80人ほどの申し込みがあったそうで、その関心の高さが伺えました。

10分ほど前に会場に着くと、すでに沢山の人たちが集まっていました。

イベント事、というとついつい若い人たちを想像してしまいますが、お年を召された方がほとんどで、

いつもの集まりとはかなり違った中に入り込んだようでした。

全く違った方向から、この玉鋼に興味を持つ人々がいるんだ、ということを再認識しました。

 

 

その人たちが取り巻いているのは、鉄作り、というイメージからは程遠い、

本当にきゃしやな煙突のような炉でした。

その中に木炭を入れ、1時間以上炉を暖めて、中の粘土を乾かしてから、

砂鉄と木炭を交互に入れていくそうです。

炉が完全に乾かないと、いい鉄はできないということ、内側に貼った粘土の質は秘密で、

この粘土の質によって鉄がきちんとできるかどうかが決まってくる、ということでした。

<なんと奥深くて複雑なんだろう!>

(でもこれじゃ自分ではやれないな、とあきらめに似た境地)。

はやる気持ちを抑えながら、

次から次に湧いてくる質問を指導されている刀鍛冶の先生に

なるべく迷惑をかけないように一つずつ尋ねました。

それはいずれも納得ができる答えで、のどの使えが取れたような目から鱗の心地よさでした。

「どうして、わざわざこのやり方で鉄を作らなければならないか?」と尋ねたところ、

「木炭を使ったこのやり方では炉の温度が1500℃までぐらいしか上がらず,

この低温で初めて純度の高い鉄を作ることができる。」ということでした。

「純度の高い鉄というと、

炭素を含まないやわらかい軟鉄(炭素を多く含むほど鉄は硬くなる)を想像するが。」と言うと、

「炭素は含まれるが、そのほかの鉄以外の金属がほとんど混じらない。」との答えでした。

ウウム!なるほど、なるほど、純粋な鉄はほとんど錆びることなく、

1000年以上前に使われた鉄釘がいまだに錆びずに残っているそうで、驚きです。

 

 

鉄を作る過程で出てくるチタンその他の鉄以外の金属や粘土の溶けたものがノロだそうで、

それが溶けた鉄の周りを覆っているそうです。

それで、そのノロを取り除いてやるために中から取り出してやらなければならないとのこと、

そのためには、ごうごうと燃え盛る炉の中の様子を覗き穴から覗きながら、

溶けた鉄の状態を想像して取り出すそうです。

ノロの中に鉄が混じると、花火のようにパチパチとはじける火花が混じるそうです。

こういう話を聞きながら炉を眺めているうちに、

中で明るいオレンジ色に溶けているであろう鉄がなんだか一つの生き物のように感じ始めていました。

そして、時折流し出されるノロは、砂鉄が純粋な鉄に変わる過程で流す赤い涙のような、

そんな気さえしてきました。

もはや鉄が、無機的な冷たい硬い物質である、

というイメージが心の中から取り払われていくのを感じました。

 

2005.12.16.

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