第49回 若葉の迷い

 

今はゴールデンウィーク天気のいい日が続いています。

ゴールデンウィークは大変です。

店の業務以外に、家の仕事があります。

田植えのための種まきの準備をしなければいけません。

籾種をまくために、苗箱に土をつめていく作業です。

今回も子供たちが手伝ってくれました。大きくなってだんだん役に立ってくれます。

そのほかに、昨年やり残していたイチョウの木の枝打ちの仕事もありました。

イチョウの木に登り、剪定バサミや、ノコを使い枝を落としていきます。

木の下には国道が走り、いつもこの時期には有田の陶器市へ行く車で長い渋滞が続いています。

その車の上に枝を落とさないように気をつけながら枝を切っていきます。

すでに、噴出してきたイチョウの若葉は触ったり、

踏んだりすると(足場だから仕方ないんです)とてもやわらかくて気持ちがいいです。

昨年は、いろんな木の芽が気になって、時間を見つけては写真を撮っていました。

今年はどういうわけか意識がそこに向かわずに、いつの間にか若葉の季節を迎えていました。

家から店までの道のりはおよそ50km、海沿いのすばらしい眺めの横を通ります。

これがあったから、20年近くこの道のりを通うことができたのかもしれません。

道は、これだけではなく山の中を通る道もあります。

普段は時間がかかるので、ほとんど通らないのですが、

この若葉に誘われて、なんとなく山道に車を進めることになりました。

別に何の期待をすることもなく……。

いつも始まりはこんな感じです。

いきなり変なもののお出迎えを受けました。

道路わきのコンクリートの崖についている同心円状の模様です。

「エーどうして?誰がこんな斬新な模様描いたの??」もう心を奪われてしまっていました。

しばらく観察して考えて、これが上から垂れ下がっている竹の仕業だということが判明。

なんとこの竹は風に力をもらい、コンクリートのがけの上を何度も何度もお払いをしているのでした。

よく見るとその右側でも同じことをやっている竹がいるではないですか。

それからしばらくは、崖を見るたびにこの竹たちのアートが見えて仕方がありませんでした。

そこには竹だけでなく、がけにへばり付いた草たちもがんばってアートしていました。

竹たちが半円なのに対して、なんと草たちは円を描いたりしています。

また、気になることが増えてしまいました。

昨年も追いかけていたことなんですが、古くて濃い葉が影のように見え、

そのうえに薄い色の新しい若葉があることで、

お日様がさしていない曇りの日にも光がさしているように見える現象の写真を撮っていました。

この体験はなんとも不思議な体験で、本当に光がさしてきているように見えてきます。

もちろん、光が射していないという考えを、どうにかして麻痺させなければなりませんが。

今回、晴れた日に同じような写真を撮ってみました。

晴れた五月の光の下、若葉の木々たちはさらに光を強めるように働きかけます。

それは、両方の光が相まって、思考が停止し、意識がなくなっていくようなまばゆさが訪れます。

人が悟りを得たり、覚醒した瞬間はこのような状態なのかもしれないな、と思うことがあります。

日常的な状態に、より光が射しているような風景です。

<そう、自然界は今覚醒しているのかもしれない。>

覚醒に伴う危うさもあります。この時期の葉はとても柔らかいので、虫たちにとっては最高の餌です。

この時期にこの若芽たちは光を求めて自分の形を変えていっているのだろうな、とも想像してしまいます。

しばらく走るとまた何かに出くわします。

道の脇に本当に若葉が萌えると表現したくなる木がありました。

少し日が陰っているのにこの輝きです。

きっと、日が射したらすばらしい色合いになるに違いない、と晴れ間を待つことになりました。

らせん教室の学びの中で、

背後が暗いものの前にある光が透過したものはとても鮮やかに輝くということを知りました。

同じ様に光が当たっていても、

その背後の状況でまったくちがったような色合いになるということがわかってきたので、

少し歩き回ったりして、一番鮮やかな場所を探したりします。

ああ、ここにも ああ、あそこにも

こうして、赤頭巾ちゃんはおばあちゃんの家にケーキを届けることも忘れて、、

若葉を捜し森の奥深くに分け入っていくのでした…… つづく。

 

2006.05.05.

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