比叡山延暦寺に行ってきました。
ずっと前から気になっていて、
いつか行こうと思っていた場所でした。
かなり前、島の中学校の教員をしていた時の
教務主任の先生がお坊さんでした。
その先生が「教員研修に延暦寺はどうでしょうか?」
と言っておられたような記憶があります。
今考えるとその先生は天台宗の僧侶だったのかもしれません。
以前、「永平寺は左側通行です!」
でおなじみの永平寺の次に訪れるのは延暦寺と決めていました。

今回、東京での仕事の帰りに延暦寺に寄ることにしました。
新幹線で京都駅に降り立つと、
駅は平日にもかかわらず、
ほとんど外国人で占められていました。
オーバーツーリズムの話は聞いていましたが、
なるほど実感です。

まず、Googleナビを頼りに
地下鉄からバスに乗り換えます。
とても便利です。
目指すは延暦寺の麓にあるホテルです。
バスを待つ間、京都の暑さにさらされます。
雲は今にもはち切れて雨を落としそうです。

バス停を降りて歩き始めたころにはポツポツと降り始め、
ちょうど市電の始発駅に着いたときには、
土砂降りの雨に変わりました。
中心部の喧騒からかなり離れていて、
静かな場所だと思ったのですが、
ずぶぬれになって雨宿りをする人たちはみな外国の人たちです。
早速、その場で国際交流が始まります。
私はホームの雨の当たらないベンチで一休みです。

次の日、延暦寺に向かいます。
麓から延暦寺まではケーブルカーが出ていました。
ケーブルカーの駅にはやはり
外国の観光客の人たちがたくさんです。

出発するとどんどん登っていき、
駅が小さくなっていきます。
周りの景色を眺めながら、
過去に乗ったケーブルカーのことを思い出します。

なかなか着きません。
長すぎます。
「ケーブルカーってこんなに長かったっけ?」
ついには京都の町が一望できる高さに達しました。
降りてみると、看板に、
<標高差500m、日本で一番高低差のあるケーブルカー>
と書かれていました。

「なるほど!」

今度はロープウェイに乗り替えです。
日本一の長さを期待しましたが、
すぐに着きました。
日本一短いロープウェイかもしれません。
こんどは、シャトルバスに乗り換えて、
いよいよ延暦寺へと向かいます。

途中、琵琶湖側からのケーブルカーの駅に停車しました。
そこには「日本一長いケーブルカー」と書かれていました。
標高差が一番のケーブルカーと
長さが一番のケーブルカーに囲まれているとは、
比叡山もなかなかのものです。

バスがしばらく走ると、また停留所に着きました。
広い駐車場です。
「ここが延暦寺ですか?」
と運転手さんに尋ねると、
「次、次、そのまた次も延暦寺のバス停です。」との答え、
延暦寺の規模の大きさに驚きです。

どうやらこのバス停がメインのようなのでそこで下車し、
延暦寺の総本山へ向かいました。
入口で入場料を払い、中へ入ります。
永平寺の記憶がよみがえってきます。

中に入ると、参道があり、
周りには最澄や延暦寺で修行したお坊さんたちの話が
イラストで描かれていました。
日本語のみで、英語の表記はありません。
おそらくインバウンドが盛んになる前に作られた展示だと思われます。
内容の筋は絵からでも大体分かるように思います。

そういえば、ドイツの教会に行った時も、
周りにイエス様や聖人たちの絵がかけられていました。
同じような感じです。
どういう内容なのかわからないものがたくさんありました。

まず大講堂に入りました。
とても大きな建物で、
中には由緒あるお坊さんたちの絵がかかっています。
ぱっと見た感じは素人っぽい絵です。
「お寺の関係者の方が描かれたのかも?」
と思い係の方に尋ねました。
なんとこれらの絵は
一万円札の聖徳太子像を描いた人が描いたとのことでした。
驚きです。

次に、総本山中の総本山ともいえる根本中堂に入りました。
ちょうど改装中で、体育館のような建物の中に
お寺そのものがすっぽりと収まっていました。
なかなか、興味深い体験です。
奥へ進むと、一段上がった広い壇があります。
そこにスケッチブックを持ったお坊さんが立たれていました。
「なぜスケッチブックを持っているんですか?」
と尋ねると、
「私は口で説明するのが苦手なので、
絵で説明しています」とおっしゃいました。

そこに上がって、先に進み、下をのぞき込むと、
地下室のようなところに大きな仏壇がおかれ、
その前にお祈りのスペースが設けられています。
普通のお寺なら壇が高い位置にあるか、
少なくとも同じ高さにありますが、
ここでは逆に低くなっていて、不思議な構造です。
とてもミステリアスです。
ふと、バルセロナのサグラダ・ファミリアの地下にある
ガウディの墓を思い出しました。

しばらくすると、たくさんの若者たちが入ってきました。
私服だったので、専門学校か短大、大学の学生なのでしょう。
すると、先ほどのお坊さんが、スケッチブックを掲げながら、
延暦寺について説明を始めました。
私も、横からお話を聞きました。
絵を見せながら一生懸命に話される姿に、とても好感を持ちました。
永平寺とは、また違った趣向です。

その中には、織田信長に焼き討ちされた話もありました。
そういえば…
「あれは延暦寺だったんだ。」
おぼろげな記憶がよみがえってきます。
お話が終わり、
「信長に焼き討ちされた後、延暦寺はどうなったのですか?」
と質問すると、
江戸時代になるまで延暦寺の再建は禁じられていた、
とのことでした。

話によると、どうも延暦寺の中心は坂本側にあるようで、
そちらにはたくさんのお寺があり、
そこも焼き討ちで大変なことになったようです。
機会があれば坂本も訪ねていきたいです。

そのあと、工事中の様子を見学しました。
仮設の階段が取り付けられ、
高いところから作業の様子を見ることができます。
回廊の屋根の構造なども見ることができ、とても興味深いです。

そして何よりも、
作業員の方々が快適に作業できる環境があるのが一番です。

その場所を離れ、次のお寺へ向かいました。
比叡山は全体が延暦寺の敷地であり、
車道は歩行禁止になっています。
シャトルバスを使うか、山道を行くしかありません。
参道は起伏もあり、
向こうからは「ふうふう」言いながら人が登ってきます。
なんと広大なお寺でしょう。
途中、ほとんど使われていないような建物も見かけました。

大講堂で「延暦寺全体でお坊さんは何人いるのですか?」と尋ねると、
70人ほどとの答えが返ってきました。
長野市の善光寺で質問した時には、
職員を含めて70名、僧侶は17人程との答えでした。
その計算でいくと、
延暦寺は職員を含めて600人ほどの大所帯になるようです。
なんと大きなお寺でしょう。
そもそも延暦寺は、最澄が開いた天台宗の総本山です。
たしか、天台宗のお寺は檀家を持たないように思います。
祈祷や御札などの収入で
これほどの規模を維持しているというのは驚きです。

山道を歩きやっと眺めのいいレストランにたどり着きました。
まるで総本山に来た感覚です。
そこで美味しい昼ご飯をいただき、
宇治抹茶ソフトクリームを頬張りました。
窓からは琵琶湖と坂本の街を見下ろすことができました。

「今度は坂本側から登ってみたいな!」
「日本一長いケーブルカーに乗ってみたいな!」

2025/08/01 井手芳弘

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