相変わらず、赤頭巾はおばあちゃんのうちにたどり着いていません。
相変わらず、あっちの葉っぱ、こっちの花と渡り歩いているのでした。
輝く葉はあまりに物質離れしていて、夢のようです。
そういえば、日々形を変えていっている葉たちは、包まれていると、
つらい現実の日々を忘れさせてくれるのでした(これって危ないお薬のようですね。)
そう、それは森のはずれ、少し疲れて、腰を下ろして何とはなくぼんやりと木々を眺めていました。
森の中の木々の暗い幹の隙間から空が垣間見える場所の手前に一本の木が立っていて、
上から差し込む日の光を受け若葉を輝かせていました。
その様はしかし、なんとも不思議な感じがして、なぜ不思議な感じがするのだろう、とずっと眺めていました。
その輝きは、背後の幹の部分だけで、垣間見える空をバックにした緑は輝きをなくしています。
その結果、なんともいえない効果が現れます。
あたかも投影された幻のように立っているのでした。
「そうなんだ。」となんとも納得。「今の緑の葉は木にとって現実のものではない夢なんだ。」って。
日々移り変わっていくさまは、現実の確固としたものではなく、夢の中での出来事なのかもしれません。
そう、シュタイナーは感情は目覚めた夢だといっていたように思います。
私たちの周りは、今夢の世界に取り囲まれているかのようです。
とにかく心に染み渡る緑ではあります。
しばらく行くと、今度は不思議な白い光に出会います。
木々の葉の間にたくさんの白い斑点がちりばめられています。
それは、たくさんの白い花が満開に咲いているかのようです。
でも、よくよく見ると、やはり魔法にかけられていたようです。
白い花などどこにもありません。
白い花だと思っていたのは、実は太陽が葉っぱに反射した光沢の輝きだったのです。
と思いきや、よくよく見るとそのうちの半分は葉の光沢ではなく、
葉の隙間から空が透けて見えて、白い斑点を作っているのです。
その二つはよほど注意してみないとわからないくらい似ていて同じ物に見えます。
もちろん見ようによってはすべて花のようでもあります。
ああ、かくも自然は私たちをまどいの中に導き入れてしまいます。
判ってしまっても、ついついその見え方で遊んでしまいます。
光に向かって、空に向かって緑色の自分を溶かしながら少しずつ立ち上っていく。
それは、未来なのか、夢なのか、過去なのか
ふしぎなことに、同じような光景をサクラの花で見たような気がする。
それは、木にしがみついたサクラの花びらたちが、
良い風を待って、飛び立とうとする瞬間の息を潜めた一瞬の間、
あたかも、渡り鳥たちが、旅立つ風を待つときのように。
2006.05.19.