光の館から帰ってきてしばらくたつのですが、なんだかボーっとしてしまうのは、
秋になり影に気持ちが吸い寄せられているだけなのでしょうか。
それにしても、光の館の印象が泉の水のように、
しばらく無意識の世界に入りまた湧き出すように、蘇ります。
前回のときはここまでの体験はなかったように思うのですが、
たくさんの人たちと体験したことがよかったのでしょうか、前回は一人でしたから。
それだと私の持論には反するのですが・・・
私の持論だと体験は共有する人間が少ないほど、
つまり一人であればそれだけ体験が深いということになります。
それとも、今回は二回目だったので、繰り返しの効果が出ているのでしょうか。
光の効果だけあってフラッシュバック、なんちゃって(意味不明)
いたるところに光の色合いを見出しています。
これは、ペロルの隣のラウムのカーテンです。
カーテンの隙間から淡いブルーの光が差し込んでいるのがわかるでしょうか。
同じような現象を以前のつれづれ55光の夢でも紹介しました。
部屋の灯りをつけて、朝の暗がりから空が明るくなる移り変わり、
あるいは夕暮れになり空が暗くなりがけのころ、
外の明るさの変化とともに、色合いが微妙に変化していきます。
この淡いブルーの輝きはそれはそれは美しく、心の底までしみこんで行きます。
まさに、ミニ サンライズ、サンセットプログラムです。
どうして、今までここまでの色合いに気がつかなかったのだろうか、と不思議に思います。
どうして、つれづれ55のときはきれいな濃い紫だったのに、
自然の色合いは複雑すぎて、考えが及ばず楽しみです。
これはたまたま立ち寄った早良の山の中にあるある画廊の部屋の床です。
底に展示してある絵画も素敵だったのですが、
やはり私は影と木漏れ日に吸い寄せられてしまいます。
庭にある紅葉の木を通して円い木漏れ日が降り注いでいます。
幸せを感じる瞬間です。
これほどはっきりと円い木漏れ日が出ることはあまりありません。
おまけに、紅葉の葉の形がはっきりと写り込んでいます(普段こんなに影ははっきりとはしていません)。
そしてそこに現れる紫のトーン。
なんともいえない気持ちがよぎります。
永遠の光の風を予感する瞬間です。
これは朝方の雲の切れ間から見える空の写真です。
やはりここにも光の館から見た天上の周りの壁と空の色合いの構図が見えてきます。
もちろん以前にもこの色合いが不思議で美しいなあと感じていたことがあったのですが、
やはり体験が意識的に感じられるようになりました。
それで、一つ明らかになったことがありました。
これは都会でしか体験できないことなのですが、
夕暮れごろのほんの一瞬、雲全体がオレンジ色になることがあります。
これは夕日があたっての輝きというより、街の光が当たって輝いている感じです。
この色合いを、都会の空気の汚れや光の氾濫と考えて汚いもののように忌み嫌っていたのですが、
これはまさに、やっぱり天井の照明による色合いと似ているではありませんか。
ああ、ここにも光の館・・・と、とても美しい色合いに感じ始めています。
よかった よかった
2006.09.15.