第59回 お月様いくつ?十三七つ

お月様が日に日に大きくなってきます。

それは、お祭りに向けて期待で胸が膨らんでいくようです。

「だれの?」「もちろん、お月様 とボクの。」そんな絵本いいかもね。

<お月様とボクの胸が膨らんだ>なんちゃって。

なんだかイースターのときも同じようなことを感じていたように思います。

春分の日がやってきて、お月様が少しずつ太ってくるのを待っていたように思います。

ただ、違いはイースターは満月の後、次の日曜日まで待たなければいけません。

今年の中秋の名月は10月6日。

そう、このつれづれがアップされる今日この日です。

でも、満月は実は明日7日なのです。

どうして、一日の違いがあるかというと、

今の暦(太陽暦)の10月6日が旧暦(太陰暦)で見ると8月15日つまり15夜にあたるのです。

じつは、中秋の名月のお祭りは月そのものにあわせられているのではなく、

旧暦の暦に合わせられていたのです。

旧暦から遠ざかってしまった私たちには、

旧暦がどのようにしてできているかなじみがないのですが、

昔の祭りを知るためにはとてもいい手がかりになるものです。

たとえば、お盆の8月15日は満月だった、とかお正月は新月だったとか、

つまり、昔の暦は月にオリエンテーションされていて1日は新月、15日は満月になっていたのです。

教室の子供たちにはよくこのことを話し、

「ボクたちは今日の月がどうしているかわからないよね、でも昔の人たちはお月様を見なくても、

今日、どんな月が出ているか知っていたんだよ。」というと

「へー、昔の人たちってすごかったんだね~。」と答えてくれます。

先日、福津市の宮地嶽神社に行った折に神社の暦を購入しました。

そこには、なんと7月が二回記載されていました。

なんと閏月というものがあったのです。

どうりで納得がいきました。

私は先月の月を中秋の名月と思い込み、勝手にお祝いをしていたのでした。

この中秋の名月に実は、待っていた祭りがあるんです。

それは(よど)の祭りです。

それはこうして始まりました。

時々行きたくなるところ、それは筑後川の川べりです。

冬の始まりのころなど、そこいらの風景が頭の中に充満してなんともいえない懐悲寂しい気持ちになります。

島の先生をしていたころなど、

テスト問題を作るのにわざわざこの地域の喫茶店にやってきて作っていたほどですから訳が分かりません。

いまでも、つれづれやらせんやその他で詰まるとよく来てしまいますからほとんど発展していません。

先日は、HPの更新の疲れを癒しながら、他の仕事をするために筑後川を訪れました。

お風呂を見つけ、そこでしばらくゆったりした後、

「そういえば、前に来たときはたしか迎え日の火が焚かれていたよなー。」

と懐かしく思い出しながら、いつもの川べりを車で走らせていた時のこと、

ふと神社を見るとそこに二本の白い旗が立っているではありませんか。

「エーっ、そんな!」「また何かあるの?」と驚きと呆れと期待の入り混じった気持ちでそこに近づきました。

でも、神社には旗が立っているだけで中は何にもありません。

「この地域の個人的な人のお祝いかいな。」と思いつつ、しばらく仕事をし、

車を移動させると別の場所にまた旗の立った神社が。

しかもここには提灯が下がっています。

やっぱり、と心をときめかせ近寄ると、やはりそこはもぬけの殻。

もう祭りは終わったのか?

明日あさっての土日に行われるのかわからないまま、

もやもやした気持ちを持ちながら、

とある橋の近くの川の見える喫茶店に入ってそこのマスターに尋ねてみました。

マスターは「ひょっとするとよどの祭りじゃないかな~。」

「子供のころお祝いしてたような。」と答えてくれました。

「どんな祭りですか?」と聞くと、

「うーん、饅頭をこさえて食べてたな、あのーヨモギを使ったやつ。

そのほかは覚えてないな。何ならこの地方の歳時記があるから見てみるか?」

といわれ、仕事をそっちのけでその歳時記を食い入るように眺めてしまいました。

そこには私の知りたい情報があまりにたくさんの詰まっていたのです。

巨峰がここから始まったこと、

鯉取りマーシャンの話(すみません個人的で)もちろん夜渡の祭りのことも。

マスターに夜渡よどの漢字を教えると、満足して家路に着きました。

おしまい、おしまい。

ところが、帰宅途中の道すがら、また別の神社に旗と提灯が、

それもその提灯の中には灯りがともっている。

高鳴る胸を押さえながら、早速、堤防の道を降りて、近くに車を止めると、

ゆっくりとその現場(?)に向かいました。

外の小さな祭り提灯に囲まれて、正面には幕が下ろされ、

中には大きくて長い提灯が下がり、たくさんの人々がその中で話していました。

ほころぶ顔を抑え、賽銭箱にお金を入れ拍手を打つと、

中から神の声ならぬ声が、「上がらんですか(上がりませんか)。」しめたと思い、

「エーッ、いんですか?」「今日は祭りじゃっけん。」

中に上がりこみ、奥の神様にお祈りをすると(ここには賽銭箱がなかったのでお賽銭は不要でした)、

「ところで何の祭りですか?」とたずねると、

今日は9月15日「よどの祭りたい」「えーっ!そうなんですか。」

「で、よどってどう書くか知ってますか?」とへんな会話をしてしまう私。

「知らんな。ただ、よどよどってゆうとったけんなー。」

「よどって、夜に渡るって書くんですよ。」と妙な自慢をする私。

私が何者で、どこから来たかを聞くわけでもなし、

立っている私とそこに腰を下ろしている7、8人の老人との会話が続く。

「よどの祭りは、ここの神社じゃ一番大きな祭りじゃっけんね。」

「提灯ともしてお祝いするったい。」「提灯はお盆じゃ?」「お盆は、仏様の祭りたい。」

その中には、昔、夜渡の祭りが全盛だったころのさまざまな出来事、

その当時の生活いろんなことが織り交ぜられていました(途中で座ったら、と言われ正座に変わっている私)。

それは、言葉を通して、そこに居た人たちが過ごした人生や世界が垣間見えてくる感じでした。

「テレビなんかが楽しかろうが(たのしいじゃないですか)。

だけんもう子供たちも誰も来やせん。」と語る老人たち。

何をするでもなく、その場にたたずんで時を待つ。

「8時20分ばい、もうそろそろよかね。」といって、やおら腰を上げて岐路に着く老人たち。

いったい何が、この人たちをここへ集めているのか。

夜渡の祭りは9月15日、昔だったら絶対に旧暦の9月15日に祝われていたはず。

日々、満ちていく月を眺めながらその祭りを待ち、

日が落ちた祭りの日、満月が煌々と黄金色の輝きとともに東の空に登場するとともに始まる夜渡の祭り、

太陽の力が弱まり満月の力が強まる、昼から夜へその力が渡っていく夜渡の祭り・・・

ああ、どうして人々は、旧暦の9月15日にこの祭りをしなくなったのだ。

新たに作ろう、新たな祭りを。ただ、じっとそこにたたずんでいたっていい、

提灯をともし、そこに自然の本質を感じることができ、

人々が癒され、自分が癒されていく祭りを。

空には満月、これから目覚めていく満月・・・

後で神社の暦を見ました。各地の神社の行事のところには、

どこにも夜渡の祭りのことなんか書いてありませんでした。

2006.10.06.

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