第60回 秋の道草

 

 

お月様の祭りが過ぎていきました。

あの時はやけに一人盛り上がりをしてしまい、時間を忘れて沢山書いてしまいました。

というか、調子が良いとそれほどまでに時間がかからないのかもしれません。

日向ぼっこは春前がいいといつか書いて、そのための理論付けをしたことがありますが、

今の季節も実は日向ぼっこに最適なんだな、と改めて再認識しています。

要するに、気温的に太陽の下にいて気持ちのいい時期が適している、ということでしょうか。

ただ、考えるに、今の季節は水のトロトロの反映や影や煙に自分の気持ちが吸い寄せられるのに、

春前は地面やそこに生えている草や葉の落ちた木肌、

特に枝先の芽あたりに当たる光などに視線が向かうように思います。

あるとても晴れ渡った朝、道路を走っていると、道路に水が流れている所に行き当たりました。

水にぬれた道路の部分に空や周りの山々やお日様の光などが映りこみ、

とても不思議な色合いが生まれます。

私的に言うと、魂(意識が)が吸い込まれる色合いです。

この部分の色が何色なんだろう、と一生懸命に眺めることがあるのですが、

いまだかつてうまくいったためしがありませんでした。

たぶん掴めない色合いだからこそ、意識が吸い込まれていくのかもしれません。

ボーっと眺めていたかったのですが、

何せ道路の真ん中なので(見る場所によって色合いが変わり、道路の真ん中からの眺めが最高)

のんびりと眺めていることもできません。

後ろから車が来ていないか確認して、急いで写真を撮りました。

そういえば、2年ほど前の同じころも似た傾向の写真をとっていたように思います。

 

 

秋口に気になる色合いはやはり紫です。

煙の紫、影の紫、雲の紫、花の紫、といろんなものが気になります。

ラウムでやっている芸術体験の講座でも紫色に取り組んでいます。

絵の中に紫色を入れているときに紫として認識できずに、影のようになることがあります。

紫が塗れていない、と思ったらちゃんと乗っていて、紫色って奥が深いな、と感じました。

 

これも、朝方、車を走らせていてバックミラーにあまりにも美しい紫色の羊が映っていたので車を止め、

やはり道路の真ん中で写真を取ることになりました。

ここは有料道路だったのでさすがに交通量が多く、かなり気を使いました。

車に気を使うのもですが、空の現象がほんの1分足らずで変わっていくことがあるので、

降りてカメラを構えたときにはもう消えている、という残念なことが何度となくありました。

あるときなどミッキーマウスにそっくりな雲が出ていたのですが、

車を止めるところがなく(これも有料道路)1kmほど走ってやっとカメラを構えたときには

タヌキに代わったことは記憶に新しいところです。

 

でも、このオレンジ頭の紫ヒツジは結構長いこと道路の上あたりにまたぐようにはばたいていました。

 

 

ひつじの姿を後にしてしばらく走ると今度は虹に出会いました。

空全体にかかっている虹もすばらしいですが、

こうやって遠景に少しだけかかっている虹もなかなかいいものです。

遠くに虹がかかっているように見えて、

実は近くにかかっているということが多いのですが、

この虹はとっても遠くにかかっているように感じました。

虹が射した山の下の海が明るくなっているので、

きっとこの場所にかかっているに違いありません。

やっぱり、時間がかかってしまいます。

いつも、早めに出ようと思うのですが、やっぱり思わぬことで時間が過ぎていってしまいます。

 

2006.10.20.

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