第71回 やっぱり 桜との戯れ

 

あたり一面ソメイヨシノの花盛り、

毎年らせん教室で桜の観察をやっていて、今年も観察をやりました。

平和台の桜をらせん教室の皆さんと眺めました。

満開の桜のころは往々にして、寒いものですが、

今年も結構寒く、観察が終わった後は市の美術館で皆さんとシェア−しました。

 

桜の観察は、長いこと繰り返していることで、

眺めれば眺めるほどいろいろと新しいことに出会います。

それにしても、同じソメイヨシノの桜であっても、

つくづく眺めてみるとさまざまな様相に出会います。

そして、本当にこれもソメイヨシノ、そしてこれもと驚くばかりです。

 

この枝は長—く勢いよく伸びています。

花はその枝の周りにまとわり付くように付いています。

この写真を見ても何の不思議もないですよね。

「これって桜だよね。毎年咲いている当たり前の桜。これから何観察するの?」って感じですよね。

でも、この写真を見てください。

まったく違うことないですか? なんだか知らないけれどまったく雰囲気がちがいます。

これもソメイヨシノです。

私は長いこと悩みました。

どうしてこんな感じなんだろうって。

どうして同じ種類なのになんだかちがう感じがするんだろうって。

そして次第にその姿がはっきりくっきりしてきました。

それは道具として桜の枝の一年の伸び方を使ってからでした。

少し難しい話になりますが、枝は桜の葉芽が開きそれが伸びていきます。

一年間に伸びた枝の根元には、その年の初めのつぼみの跡が重なって付いています。

それで1年、2年、3年とその枝の過去の伸びを辿っていくことができます。

それを使うとそれぞれの枝がどれほど伸びたかがわかるわけです。

それと、桜の芽には花になる芽と枝になる芽があり、

花になる芽は花が咲くとそこで終わり、枝になる芽はそこから伸びていきます。

また、桜の枝の突端には必ず葉芽(枝になる芽)が付くという原則です。

桜は、この葉芽か花芽か、を使い分けることによって

(それを表現手段として)自分自身の形態を作っていきます。

もちろん伸びる長さもかかわってきます。

 

さて、最初の桜の伸びを見てみると写真全体の長さに伸びていくのに2年ほどしかかかっていません。

そして、その突端には葉がたくさん付いています。

つまり、次の年には、ここから枝分かれしてたくさんの枝が付きます。

それと比較して後の写真を見てみると、

突端だけに葉芽が付いていて後は花芽ばかりが周りについています。

それに、一年間に伸びる長さはちょうど花が付いている長さだけです。

ということは、中央の枝で写真全体の長さに伸びるのに6年ほどかかったことになります。

これはまだいいほうで、ひどいものでは10年以上たっているものもあります。

それこそ、一年に1cmほどしか伸びないものもあります。

でもそれでもいいほうかもしれません。

ずっと伸びていった挙句、突端が枯れてしまっているものが少なくありません。

先端が唯一伸びる可能性を持っているところなので、

その唯一の可能性を奪われたものは枯れていくしかないのです。

ううむ、この整理された美しさは、そういう危険性をはらんでいるのか、

それなら、やはり最初の写真のような枝振りが・・・

いや、待てよ、上のほうはたくさんの葉芽(枝分かれの可能性)があるのに、

下のほうはやはり突端だけに葉芽(枝分かれの可能性)が・・・

結局そのまま数年たてば枝は後のほうの形態になってしまう。

結局仕方がないのか。

—いつの間にやら枝そのものの気持ちになってきている自分に気がつく—

そうだ、突端のところを枝分かれさせつつ、後のところをずーっと伸ばして行こう。

枝の気持ちになりながら、それぞれの枝に問いかける。

「えっそこをそう伸ばすの?そして、ここはこんな感じで行くわけだ・・・」

「それはあんまりじゃない?」「それやりすぎじゃ・・・」

・・・ブツ ブツ ブツ・・・

「えっ!そそそんな〜〜」

 

2007.04.06.

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