第75回 再び光の館へ

今回10ヶ月ぶりに再び新潟の十日町の光の館へ向かいました。

今回、私のほうがバタバタで(それを言うならいつもバタバタで)なかなか広報活動がままならず、

少数精鋭で取り組むことになりました。

またまた反省しながら、たどり着いたのは、夢の家。

1時間睡眠と飛行機30分、列車で30分ほどの眠りのままたどり着く。

今日は自己研修の日(あれっ?自己研修って夏休みじゃなかったっけ?もう、今〜?)

家には仕事が山積み、仕方がないー

日本三大薬湯の一つである松の山温泉を通り過ぎ、

通行止めの看板を通り抜けながら上り、たどり着いたのは夕方17:00前。

 

ここは、夢を見るための家マリーナ・アブラモヴィッチがコンセプトした古い民家を改造した家。

赤い部屋、紫の部屋、緑の部屋、青い部屋がそれぞれの色のステンドグラスがはめられた窓の光で照らされる。

それよりも何よりも楽しいのは、この地域でずっと使われていた家に泊まれるということ。

この地の生活を少しでも追体験できると言うこと。

いずれにせよ、この家を作品化することで、

私のような人間が一人で宿泊すると言う体験が出来るようになったことはうれしい限り。

 

すべては私一人に任される。

一軒の長い歴史を携えた家と私の対話が始まる。

−今も流れているのだろうか。

この家で息をしていた人々の夢たちが喜びや苦しみや涙や愛おしさや希望が−

この家の管理の当番をされているすぐ近所の方からお話を伺う。

この家に住んでいた老夫婦のこと、子供たちを頼りに都会へ出て行かれたとのこと。

茅葺の屋根を維持してたときのこと、

5、6件でグループを作り広い茅場を離れたところに持ち

毎年秋にそれを刈っては雪の中に置いておき、

春ごろ、雪の表面が硬くなるころ、それを取り出し、

野や沢や潅木を埋め尽くした雪の上を橇を使って下ろしていたこと。

毎年刈らないといい茅が取れないこと。

みんなで一軒の家の茅を葺くこと。

そして、茅葺屋根に登って雪かきをすることの過酷さ。

藁葺き屋根の家には必ず囲炉裏があったこと、

その囲炉裏の煙で茅が燻され乾燥を保ったり、虫がつくのを防いだりしたこと。

私が知らなかった人々の知恵と暮らしが垣間見えてくる。

 

夢の館、

座敷に座り、窓から見える水田や木や遠くの山を眺めながら、ゆっくりと杯を傾ける

—私は夢に取り囲まれているのだろうか?—

夢は木々を駆け抜ける風?

ふと目を覚ますと激しい雨音

時計を見ると朝の1:00

2時間ほどのつもりが5時間も寝込んでいた。

しばらく仕事をして

3:00に外に出る

満点の星空、

風呂にゆっくりとつかり

4:00から勿論赤い部屋に眠る(勿論?)。

とりあえずマニュアルどおりにドリームスーツを着て眠る。

スーツには12個の強力なマグネットを装着する。

(けっこう楽しい)もちろん夢には全く期待しない。

−こんな不自然な状態で深い夢など・・・−

ドリームスーツの窮屈さ(少し小さくなっているとの事)生まれて初めてのタイツ姿に笑ってしまう。

 

完全装備のまま棺おけ型ベットに横たわる。枕は硬い石。

夢<自分の身体から赤い色を引き剥がす。

「あっ!赤い色ってはげるんだ。」と別の場所から自分が驚いて見ている。>

そのほか、いくつか印象の薄い夢を見る。もちろん覚えてはいない。

今も流れているのだろうか。

この家で息をしていた人々の夢たちが。

喜びや苦しみや涙や愛おしさや希望が。

PS
このそれぞれの色の部屋はゲーテ的な色彩の体験をするのに最適だと言うことに気づき、

光の館体験ツアーの一つに組み入れることになりました。

皆さん、とても深い体験をされました。

 

2007.06.01.

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