第76回 昼間に満月を探すこと

すばらしい自然現象(特にわたしの場合は空ですが)を見ると

それから後その現象を空に探そうとすることがわたしの場合よくあります。

また、一度見たものはなんとなく探しやすくなります。

彩雲現象もその中の一つです。

はっきりとした現象を見ていると、とても微かに出ているときでもそれを見つけることができます。

それどころか、なんとなく出ているんじゃないか、ということが雰囲気から分かってきます。

それと同じような現象の一つが影からの影の筋です。

太陽の真反対の光が全くない所から光の筋が出ているように見える現象です。

この現象を初めて見たときは、この世のものではない秘密を見せられた気がして、

とても神々しい気持ちになったのを覚えています。

それから、まだ一度だけしかこのような現象にはお目にかかっていません。

それも一瞬だけ。

それで、夕方になるとそのような感じの雰囲気の空と雲の時には、影の筋がないかどうか探してしまいます。

そう、この日もなんとなく、太陽の真反対を中心にした光の筋があるように感じたのです。

残念ながら、光の筋は見えなかったのですが、なぜそんな気がしたのかなーって眺めているうちに、

なんとなく雲の陰の部分が 一点に集約しているように見えることに気がついたのです。

そ、そうか!忘れていた。

影も一点を中心にして出来ているんだ。う

かつだった。

うかつなことにはいつも不意を突かれます。(このことはつれづれ63を見てください)

わたしたちは太陽を中心として光が放たれていることは意識します。

しかし、それと同時に、じつは影が集中しているということには気づかないことが多いのではないでしょうか。

影が集中する??何を言っているのか、とお思いでしょう。

影の部分を光のあたっている部分に置き換えると少しは分かってくるのではないかと思います。

それほどまでにわたしたちの意識は光に向けられています。

光が意識の側だとすると、影は無意識の側に存在することを象徴しているかのようです。

考えは勝手に進んでいきます。

光の中心が太陽だとすると影の中心ってなんだろう?

そうだよな、それって自分の頭の影だよな。

いや待てよ・・・影の中心は満月でもあるし・・・そうだ、

もし今日が満月だとすると今日の昼間の影は

地面に隠れている満月にすべて向かっているということなんだ。

すべての影は決して地面から上がってくることのない昼間の満月から放たれているのだ・・・

昼間に満月を探すこと

・・・雲を眺めて影の部分を探そう。

もちろん影は雲の下にある。

この影は地面の下の満月から射しているから。

満月から放たれる黒い影の光。なんともいえない感じ。

この中にはいろんなものが詰まっている。

昼間の光に凍りついた小人たち、魔物やもののけたち。そう、黄泉の国の住人たち。

わけの分からないことを考え始める。

わたしたちの意識にとって光がすべてで、

影の部分はついついその他(雑)の無意識の部分になっているのではないだろうか。

その自分にとって暗くて得体が知れず、雑多で混沌としている無意識の部分が、

一つのものを中心にしている、ということに気づき、

そのことをしっかりイメージできたとしたら、とてもすばらしいことではないだろうか。

地上の万物の影たちは、私の影を指さない。

地上の影たちは、私の影の永遠の到達点である地平線の場所を指す。

でも、地上の私の頭の影の背後には、本当は満月、満月が輝いているんだ。

満月とはわたしにとってそれほど大切なもの。

満月は私の頭の影。

空の雲の影たちが指し示すのは、わたしの地上の頭の影、

私の頭の影は間近であり、時空を越えたはるかかなたでもある。

<君は、ぼくが自分のことばかり考えてる、と思うかい?

でも、ぼくが見ているものは満月さ(満月は途中?)君だって満月を見てるんだろう?

ぼくらは違ったものを通して(それぞれ自分自身を通して)同じものを見ているんだ。

言い換えるとさ、自分自身を通らないと、きみと同じものは見えないってわけ。

なんだかわからないけど、このことはもっとよく考えてみたい気がする。>

ふと、われに返る。

ちょっと飛びすぎてしまったようです。

わけの分からないことを書いてしまってすみませんでした。

すべてのものが空に向かって舞い上がっている季節、

まあ、少しばかり(少しばかり?)仕方ないか・・・

この地上には、いろんな所に神様の証がたくさんあるんだよ。

ただ、信じるんじゃなくて、しっかり探すこと。

ただ信じるんじゃなくて、よく自分で考えること。

2007.06.15.

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