第79回 お日様の働き
夏休みになり教室は夏の講座をやっています。
夏は普段の講座と違い、少し時間をかけて作品を作るということをします。
竹の楽器だったり、象のぬいぐるみだったり、モザイクだったり、様々です。
この前は、ある教室で、子どもたちから要望のあったピンホールカメラ(針穴カメラ)を作りました。
自分たちでカメラを自作して、それで写真を取ってみようという試みでした。
私は子どものころ、学研の科学の付録にカメラが付いてきて、それで写真を撮ったことがあります。
ただ、特殊なフィルムを使わなければならなかったので、とても高かったことを覚えています。
また、小さなレンズの付いたプラスチックのものだったので、自分で1から作ったという物ではありませんでした。
それで、子どもたちが自分の手で1から作れるもの、きちんと写真が撮れるものを探しました。
インターネットのおかげでそれに合うものを探すことが出来ました。
ただし、材料探しの段階になって、とても困難を極めました。
今や白黒の印画紙などどこを探しても売っておらず、
ましてや現像などしたことのない私はちんぷんかんぷん、
つくづく時代に逆行することをしているなーと思ってしまいました。
子どもたちも例にもれず、「こんなんで写真取れると?」「これおもちゃじゃん。」
「え?何枚も取れないと?」など、とても不満げです。
でも、自分で厚紙から作ったもので写真が取れること、撮った写真をそのまま現像できること、
など、私にとってはワクワクする未知の分野です。
デジカメや携帯カメラ(これも実はデジカメ)などの便利なカメラに慣らされた子どもたちにも
面白くないはずはないだろう、という確信を持って望みました。
案の定、文句ばっかり言っていた子どもたちは、
最後にはとても喜んで写真を撮っていました。(と私は感じました)
私は、写真が何かを写し取っていると言うより、
光を当てた化学現象なんだ、という実感を強く持ちました。
はじめてやることはとっても大変。
ということをあらためて実感するとともに、子どものころから気になっていた現像、
焼付けを自分でやれるようになったのはとても嬉しいです。
写真を撮る余裕がなかったので写真がないのが残念です(??)。
過酷な昼間の熱さのあとに訪れる夕方のひと時は憩いの時間です。
夏の空気に包まれる太陽は真っ赤になりながら沈んでいきます。」
先日、昼間の仕事を終え、海岸沿いを走っていたときのことです。
とってもきれいな夕日が出ていたので車を降り、しばしその色合いに見とれていました。
残念ながら下に雲があり、早めにその雲の中に沈んだので、
その場から離れ、車に乗り、しばらく走ると、なんとその下から再び、
今度は真っ赤な太陽が顔を出しました。
急いで車を止め、何枚も写真を撮りました。
撮りながらあることに気がつきました。
いつもあるべきものがないのです。
それは、太陽の下に続く海に反射した光の帯です。
本来ならば、この写真のように太陽が沈むときにはその下に光の帯が見られます。
私は、頭の中が???になりながら、何度もシャッターを押しました。
まさか、このような現象があろうとは・・・
50にもなりながら、おまけに光のスペシャリストを自称しながら、
たくさんの夕日を眺め、観察してきたのに、お日様が海に沈む瞬間に、
その下に光の反映がないなんて、考えても見ないことでした。
何度も見てきたはずなのに、
問題意識を持たなければ全くその現象が見出せない、という、典型的な例です。
これほど強烈な赤が、どうして海に投影されないのだろうかと、とても不思議になりました。
唯一、今のところ見出した答えは、
<沈みかけの赤い色は、色としてとてもインパクトがあるが光としての強さがないのかもしれない。>
というものでした。
このことは、私にとって、光の強さと色の強さについて考えていく、とても大きな材料になりました。
そういえば、お化けは鏡に映らないって言ってたよな〜とか、
残像はやはり鏡には映らないよなー、
などわけの分からないほうに考えがめぐっていきます。
2007.08.03.