巻頭言のところでも紹介しましたが、福岡シュタイナー教育の会では、ランタン祭りをやりました。
どうしてこの時期にこのようなお祭りをするのか、ということですが、
このことはシュタイナー教育を始めたR・シュタイナーの書いた魂の暦を読むとそのことが少し分かってきます
(私の魂の暦の訳本がもうすぐ出版されますのでそれを参考にされてください)。
その中では、私たちを取り巻く外界である自然界が暗闇に包まれれ、
冬に向かうとき私たちの内界はより輝きを増し、魂の夏を迎えると述べられています。
つまり、外の世界が静まるとき、内の世界はより活発に活動するということです。
考えたらさもありなんですよね。
身体を動かし活動しているときは、いろんなことを考えることはありませんが、
静かに休んでいるときはいろんな考えが頭の中を駆け巡っていくかと思います。
あたりに闇が迫ってくるこの時期に、内的な世界の明かりを体験する機会として
このランタン祭り(ドイツでは聖マーチン祭と呼んでいる)を行うのはとても納得がいくかと思います。
この内側の灯りよ 明るくともれ、と歌いながら内側の明かりを体験するお祭りは、
私たちの周りが殺伐としている昨今、特に必要な体験のように思います。
また、クリスマスに教室で行うリンゴロウソク(正確にはアドヴェントの渦と呼んでいる)のお祭りもそうです。
冬至を迎え、外の世界が一番闇に沈むとき、内の世界の一番奥底から新しい光が生まれる、
というクリスマスの本質的なものを体験するお祭りとして、
子どもたちローソクが立てられたりんごを手に持って、
針葉樹の枝で作られた渦の迷路の中心にある灯りのついたローソクから光を分けてもらい、
自分の場所においていくという行為をします。
これも、昨今、子どもたちに特に必要な行事だと私は考えています。
これらの行事をほかの季節に行うことは出来ません。
それは、その季節のエッセンスを集めたような行事だからです。
昔の人たちは季節の動きに特に敏感だったし、それに即した祭りを行っていたことだと思います。
考えてみたら、現在のように人工的な灯りや建物、暖房器具などはなかったわけで、
お月様の満ち欠けやお日様の光、周りの環境の変化に身も心も浸されていたことでしょう。
このようなお祭りを子どもとやる時にいつも不思議に思うのですが、
あまり大人がその場を締める必要がないのです。
子どもたちは自然とその行事に添ってきます。
幼稚園児でも長い時間座り続けたり、朗らかに歩き続けることが出来るのはいつも驚きです。
たぶんその祭り自体が子どもたちの内面の欲求と合っているからでしょう。
その行事とは少し違いますが、福岡シュタイナーの会の有志を中心として行われた
家作りの会で先日お泊り会を催しました。
自分たちが一緒になって建てたお家に、今度は泊まってみようということで、
土曜日の午後に集まり、薪を集め、夕食の準備をし、焚き火でパンを焼いたり、
そこで取れた芋を焼いたり、マシュマロを焼いたりして、
お母さん方が作ってくれただご汁と一緒にみんなで食事をしたあと、
焚き火の周りでみんなが持ち寄った楽器を使って即興演奏を楽しみました。
それから、男の子と私だけ下の広場から少し上ったところにあるみんなで作った家に泊まり、
女の子とお母さんお父さん方は下のテントで寝ることになりました。(女の子たち、ごめんなさい)
男の子たちの中には初めて泊まるので不安でいっぱいなくせに、それをおくびにも出さない子がいます。
電気もない、水道も、暖房もテレビもない(当然)ところですが、
やはり建てられて周りから隔離された部屋は安心感があります。
興奮冷めやらない中、寝袋に入りながらおしゃべりが続き、
下からは女の子たちとお母さん方が陣中見舞いにやってきます。
それでも沈めて(しゃべったものはこちょぶりの刑)、ふと子どもたちのトイレに行きたいという声に目覚めると
窓からは山の上に船のように横たわる月と星々が見えました。
夜に星を見る会を企画していたのですが、断念していました。
雲が多くて星が見えなかったのが、気が付くと満天の星空です。
それと、部屋の中には窓から射し込むあの細い月明かりで木漏れ日が映っているではありませんか。
これは、写真を撮るしかありません。
早速子供たちをつれて下へ降りていくことに、真夜中の探検の始まりです。
こんな機会はめったにないとばかり、子どもたちへはライトを持たせず、
暗闇の中を木をつかみながら手探りで降りてくると、下の広場から満天の星空。
ちょっと羊飼いになったような気分で女の子たちをたたき起こすと星をみんなに示しました。
そのときの星空は、本当に美しく、ため池の前まで探検に行くとその溜池の水は静まり返り、
その水面には月と星までも映していました。
その後また戻って写真を撮ったのですが、
三日月の月明かりはあまりに暗く取ることができませんでした。
子どもたちは興奮してなかなか眠れなかったようですが、
朝、気がつくとお日様が明るく家を照らしていましたが、子どもたちは眠り続けていました。
「この家なんと言う名前にしようか。」
「大和ハウス!」
「そんな冗談ばっかり、却下!」
「ミッキハウス!」
「却下!」
「木漏れ日の家」
「うんいいかも!」
みんなで朝ごはんを食べた後、しばらく火の回りで遊んで、
あたりの散策をした後、この場所に別れを告げました。
子どもたちが去った後には、また、しずかな時が流れ続けていました。
2007.11.16.