111 枯れと光

砂浜に続く松林の中を歩いていると、木々の隙間から夕暮れの光が差し込んでいました。

その光は、松の木の下草の所々を黄色に染めています。

でも、そこはとても不思議な感じのする場所です。

というのも、その場所には、射してくる光の黄色だけではなく、

枯れた草の葉の黄色い色が点在していて、どれが光か、

どれが草の枯れたものか分からなくなってくるからです。

枯れた黄色の葉の上にあたかも光が射しているように見えるからです。

それは、全体が緑色の草の上に黄色い光がたくさん差し込んでいるように見えます。

私は、このような写真を好んで撮ります。

特に、春先の柔らかい明るい黄緑色の葉が深い緑の葉先についているものは

深い緑影の部分と黄緑の光の当たった部分というように見えて、

曇りの日でもお日さまの光が射しているように見えてとても不思議です。

いったい枯れるということはどういうことだろう、と考えてしまいます。

枯れるというと、とても否定的に聞こえます。

しかし、花が咲くということも、それまで天に向かって成長していった植物がつぼみという形でその成長を終え、

それから先を色に身を染めていきます。

それは、あたかも光の高みまでたどり着いて、光に満たされながら、

自分自身の中の生命力を退かせ、

花の色や香りや種の中の油やタンパク質として変化させていくかのようです。

また、紅葉している植物を見ると、それまでお日さまの光や熱を吸い込んでいたものが、

それをやめ、徐々に自分の中に溜まっていたものを色として自然の中に返していくように見えます。

そして、それはあたかも色つきの光が空から降り注いできてその葉に当たっているかようです。

観察を重ねていくうちに、一番葉が輝く条件を見つけました。

それは、明るい空を透かして葉を見るよりも、その葉に光が当たって

その背後のバックが影になって暗くなっている時でした。

それは、おひさまが照っていない曇りの日にも言えることです。

背後に暗い闇を携えたところにかすかに光を受けているものは

それはそれは印象深い深い色の輝きを生み出します。

 

2008.12.05.

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