先日、東京で一日空いたので、

講座に参加されている方から紹介された

東山魁夷展を見てくることにしました。

東山魁夷氏の絵に関しては、本物を見たことがなく、

見たいと常々思っていました。

また、大昔、

NHKのテレビで東山魁夷氏が唐招提寺のふすま絵を

描いた時の番組でも見ていて、とても印象に残っていました。

長野市に東山魁夷美術館があり、

そこにはたくさんの絵が展示されていると聞いていて、

長野市に行ったときに行こうとしたのですが、

時間がなく、行けませんでした。

国立新美術館というところで開催されていて、

「人がとても多くて切符売り場が長蛇の列になる。」ということでした。

そこで、ネットで事前にチケットを取り、会場に向かいました。

開館時間前に着いたのですが、

すでにたくさんの人がチケット売り場に

並んでいて、チケットを持っている人たちの列にも

すでに人が並んでいました。

それでも、最初のグループで入ることができました。

会場に入ると、

後から入場してくる人たちで次第にあふれてきました。

作品の中には、これまでどこかで見ていて、記憶の片隅に印象として

残っていたものが多くあり、

「これは、東山魁夷氏の絵だったのか、」

と改めて思うものがたくさんありました。

実際に画像を見せながら説明することができないのですが、

独特の青いベールを掛けたような色調が印象的でした。

絵を見ているうちに、日本画というものの特色をいかに表現していくか、という葛藤が、絵の中の随所に現れているのを感じました。

ある絵は、小さな木の葉がたくさんついた木が表現されていましたが、その葉、一枚一枚が筆のタッチできれいに表現されていました。

西洋の筆ではとてもこのような表現は不可能だろうと思いました。

東山魁夷氏の絵には水面がよく登場していました。

そういうものを見ていると、ついつい、きちんと描かれているのか、

自分で検証しようとしてしまう、悪いクセがあります。

ついつい、水面に映ったものが実際と合っているか、

ということを作図的に計算してしまいます。

平山郁夫氏の砂漠を歩くラクダの影の時もそうでした。

太陽の位置とラクダの位置を作図的に計算して、

影が実際とは全く合っていないのに気づき、

どうもこれは、影ではなく、ラクダが水面に映った像である

ということに気が付きました。

平山氏に、意図的にそう描いたのかどうか、

を往復はがきに〇を付けてもらう形で送りましたが、

もちろん答えは返ってきませんでした。

東山魁夷氏の絵の中にも、水面にはたくさんの木が映っているのに、

実際には木がないものがあったり、

最後の絵には、空に明けの明星が輝いているのに、

水面には映っていなかったり、と、

??と思うものがたくさんありました。

どうしてこのような絵を描いたのだろう?意図的?無意識?

なぜ?なぞはどんどん深まっていきます。

「ああ、また気になることが増えてしまった!」

と思いつつ、美術館を別の出口からふらふら出ると、

目の前に高層ビルが!

守衛さんに聞くと、かの有名な六本木ヒルズ森ビルとのこと!

もうろうとした頭を抱えながら、森ビルに向かい、

3階のおしゃれなローソンでピザまんとコーヒーを買い、

5階のおしゃれなフリースペースでおいしくいただきました。

2018.12.21  井手芳弘

つれづれ354 寄り道」への2件のフィードバック

  1. 東山魁夷展、行かれたのですね。
    ご指摘の絵を、画集で確かめてみました。
    影があるのに、木がない絵は、白馬がいる「草青む」ですね。
    確かに不思議です。遠くの木の上の方が映っているということでしょうか?
    自分では、そのことに気づきませんでした。
    さすが井手さんです。

    彼はすごく観察して何枚も外でスケッチしてから描いていますし、
    水に映っている像をたくさん描いているので、
    間違ったとは思えません。
    白馬のシリーズは、ファンタジーの世界のようで、
    意図的に非現実を表しているのかもしれません。
    影だけある絵として改めて見ると、すごく不思議な世界です。

    星が映っていない絵は絶筆となった「夕星」ですね。夕星だから宵の明星ですね。
    これは絶対に意図的だと思います。これは非現実の世界、彼の内面世界だと思います。
    水には映らない光は、何を意味するかな、と考えてみます。

    木村美雪

    1. 木村様、
      先日は狛江塾にご参加いただき、ありがとうございました。
      コメントへの返信が遅くなり、失礼しました。
      木村さんがご紹介していただいたおかげで、東山魁夷展に行くことができました。
      ありがとうございました。
      かねてから、見てみたいと思っていました。
      水に映った像はやはり、意図的だと思いますね。
      だから、なおさら謎が深まります。
      最後の絵は夕星なんですね。
      どうして、朝にしなかったのでしょうね。
      ほかの絵も謎のものがたくさんありました。
      だれか、もしくは。東山魁夷さん自身がそのようなものを解説してくれていないかな、と思います。

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