前回は思いもかけず、ススキの画像に反響(ほんの一部)

をいただきました。

実は、わたしはススキの隠れファンなのです。

秋のお月様の光に照らされた銀色のススキの穂は

とても美しいものですが、

冬になり、種を飛ばしてしまって、すっかり色あせたススキも大好きです。

というのも、その穂先が光の当たり方で微妙に変化していくからです。

その美しさに、ついつい見とれてしまうことがあります。

それは、物の美しさというより、物と背景の光の当たり方からくる

微妙な色合いの美しさに心を惹かれるからでしょう。

たぶん、心の中も同じような構造でできているのではないか、

と思います。

わたしは、この色合いの現象を空間色彩と呼んでいます。

その代表的な例が、空の青さです。

空が青いのは、手前の光が当たる空間とその背後に真っ暗な背景が

あることから生まれます。

どこにも青い色はありませんが、空間が重なることで色が生まれてきます。

暗闇側から見ると空間は青くは見えず、赤く見えます。

例えば、光に透けるピンクの梅の花が美しく輝くのは、

花にどれだけ光が当たっているかより、どれだけ背景が暗いか、

によります。

人の写真を撮るときは、逆光にならないように気を付けますが、

花や葉の写真を撮るときは逆光気味のほうが美しい色合いが撮れます。

その色はステンドグラスのように光が物質を透過した色合いで、

とても心にしみてきます。

そういえば、人はこの光を透過する物にとても惹かれるような気がします。

新緑や紅葉は光を透過して生まれる色合いですし、

宝石やビーチグラスの美しさものそうです。

海や川の水もそうですね。

そういえば、ストロースターやローズウィンドウの美しさもそうです。

万華鏡もそうですね。

中のガラスが透けることで美しさが生まれてきます。

でも、ススキの穂、それも枯れたススキの穂は美しい色を持ったものでもなく、透ける素材ではありません。

光を透過させない、ただの枯れて色あせた穂先です。

ところが、その微細な穂先が光を透かす物と同じように、

いや時としてそれ以上に美しく輝くのは驚きです。

前回の、ススキの写真も実は光を後ろから受けること、

そして背景が影になって暗くなることで

あの美しい色合いが生まれています。

もちろんススキの美しさはそれだけではありません。

ススキの穂たちの集団演技はたまりません。

風に合わせて、その穂先を揺らすさまは、波のようでたまりません。

夕日を受けて黄金色に輝いた穂先が揺れようものなら、

心のひだを金色の羽根で撫でられているようで、

気を失ってしまいそうです。

気を失いそうになりながら、何度も写真を撮ってしまいます。

枯野のなんと美しいことか。

ちなみに、外国の方を阿蘇に案内したときに、

しきりに、「ああ、これがススキなんだ!」

「ずっと見てみたいと思っていた。」

「浮世絵で見ていて、どんなものかと思っていた。」

「なんと美しいんだろう。」

と、とても感動していました。

2019.02.15 井手芳弘

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