前回のつれづれ、虹のずれ、では「訳が分からない。
「らせん教室でもわからないようなことを書くなんて…」
「難しいので、集中して読んでいって、結局わからない、
と思っていたら、自分でもわかっていないと書かれていて
変に安心した。」などと、お叱りの反響をたくさんいただきました。
「こういう文章は、年に一回ぐらいしか書くべきでない。」
という意見もいただいたので、一年に一回書いてみようと思います。
* *
時々、ペロルってどこから付いた名前ですか?
と聞かれることが多いので、ペロルの名前の由来について書いてみます。
ずっと前に書いたような気もするのですが、忘れてしまったので、
再度書いてみたいと思います。
ペロルPerolという名前は、私がドイツのシュタイナー学校教員養成所で
学んでいたときに間借りをしていたお家のファミリーネームです。
ドイツでは珍しい名前らしく、つづりを説明するのに「鳥のpirolのiをeに変えて
ください。」と説明していたようです。
元々はフランスからやってきた名前だそうで、グーグルマップにperolと入れる
とフランスのperol通りが出てきます。
ご主人は、シュツットガルトにできた最初のシュタイナー学校に
4年生(?)から学ばれたそうで、
学校の開校式で、R・シュタイナーが話をするのを見たそうです。
家の近くに、容器販売の会社を持たれていて、
ヴェレダの容器なども扱われていました。
奥さんは、シュタイナー学校の先生をされていた方で、
結婚後家庭に入られましたが、いろんな形でシュタイナー学校運動に
かかわられていました。
子どもたちは、やはりシュツットガルトのシュタイナー学校に通っていて、
孫たちもやはりシュタイナー学校に通っていました。
家は、シュツットガルトの郊外の森のそばにあり、
そこから2㎞ほどの道を歩き、
市電に乗ってゼミナールに通っていました。
時間があるときは森の中をよく散歩しました。
ドイツ人はとても散歩好きで、
日曜ともなると、たくさんの人が歩いていました。
奥さんは「ヨシ、ヨシ」と言ってとてもかわいがって(?)くれました。
そして、シュタイナー学校のベースとなっているアントロポゾフィ
(シュタイナーの提唱する精神科学)を、頭でなく、
行動と心を通して伝えてくれました。
ドイツから戻り、シュタイナー教育的な教室を始めて何年かたった後、
つみきや(現在はイムズに店舗があります)の原田氏と
店を始めることになった時に、
「店の名前をペロルにしていいですか。」とペロルさんにお願いして
OKをもらいました。
「これで、日本にも姉妹店ができる。」と喜んでいただいたように思います。
ペロルさんの会社は息子さんが引き継がれましたが、残念ながら会社をたたむ
ことなり、ペロルの名前を引き継ぐのは、この店一つになってしまいました。
先日、ペロルの16周年の時に、息子さんからメッセージをいただきました。
現在は、別の容器の会社で頑張って働かれています。
ペロルができた後も、ペロル夫人はことあるごとに、
「どうしているか?」と心を寄せ、応援してくれました。
「よく頑張っているね。」と言われるのを励みに頑張ってきましたが、
そのペロル夫人も亡くなり、天から応援してくれるようになりました。
天から応援してくれる人が増えてきました。
たぶん、これまでやってこられたのは、これらの天からの手助けが
あったからだと思います。
感謝です。
2020/02/20