二回も光の話で、それもわかりにくいものが続きました。
ただただ、珍しいものを提示しようと意気込んだせいでこうなってしまいました。
私の思いとは裏腹に、「えー、なんだかわからない。」「それって珍しいの、へえー。」
「結構自分に入り込んでる感じだよね。」などという反応が目に見えるようです。
そうこうしているうちに季節はだんだんと夏のクライマックスに近づいています。
全てのものは、外へ、上へと伸びていきます。
今年は、いつになく早く初夏のような陽気が訪れ、
あたりは白いベールがかかったかのような輝く空気に包まれ、
私たちの意識を飛ばしていきそうです。
そんな今の時期楽しみなのは砂浜に行ってハマウドの大木を眺めることです。
いま至る所に大木「?」が身をくねらせながら空に向かっています。
ウドの大木なんて言葉を思い出しますが、大木というよりも私には、巨木に思えます。
中心に巨大な柱が立ち、そこから四方に梁のようなスーッとした柱が伸び、
さらにその柱の一つ一つからたくさんの細い棒が空へ向けて放射状に広がり、
その突端につけた千成びょうたん(もしくは燭台)を天に向けて指し示しているかのようです。
ここまで来るまでにこの植物がどれだけ一歩、一歩地上から積み上げ、支え、
立ち上げていったかという、その力が見て取れるようです。
そう、空に向って消え入るというよりこれはまさに植物建築(?)そのものに他なりません。
力が入りすぎでしょうか。でも、この姿を見ていると力がみなぎってきて仕方が無いのです。
もう、巨木というより殿堂に思えてきます。
いや、カテドラルです。いやサクラダファミリアです。
空に向かって何かを表現する、という目的のもと、一つの建築物が立ち上げられていきます。
—荘厳な音楽さえ聞こえてくるなあ。皆さんはどんな音楽ですか?—
そこで立ち働いているのは、巨大な柱(キャピタル)に登り、
長い柱を身体で支えているチョビ頭のトトロ似の人たちです。
長い柱の一つ一つをその身体全体で包むように支えています。
ううむ、向こう側ではアクロバット的に身体を完全に反らせながら頑張っているものもあります。
手前には身を捩じらせて支えているものもいます。
それぞれが、それぞれのやり方で律儀にこの柱を支えています。
もともとはこの柱も瓢箪も自分のおなかの中にあったのですが、それが、どんどん伸びていってこの有様です。
ああ、なんだかこの方々が緑の水を放水している緑のマントを着た消防士さんに思えてきました。
そうすると、これは水の祭典ウオーターフェスタというわけでしょうか。
ちなみにこの方々は、大木の下のほうではそのチョビ頭を大きく広げ、
巨大な葉として、光を吸い込んでいます。
時々この建物を訪れるのは緑と黒のストライプがイカしたアゲハチョウの幼虫です。
この籠のような建物に守られ、一人のんびりと瞑想するかように、
むしゃむしゃ無心になって殿堂をかじっています。
ああ、何というドラマがこの小さい世界に展開されているのでしょうか。
私が日々生きていっている世界とはまったく違った世界がたくさんあり、ドラマが展開されているのでしょう。
この白青く輝く空気のもと。
「いかん、こんなものばっかり見てないで、仕事しなくっちゃ。」
2004.5.21.