「私たちは何のためにこの地上に生まれてきたのかな?」って、時々考えることないですか。
そのことを考えるたびに、私は小学校時代に読んだ国語の教科書を思い出します。
僕(突然僕になる)、漢字は苦手なんですがテストのときも、文章題を読むこと自体はそれなりに好きでした。
その中で、宮沢賢治について書かれたくだりがありました。
ある日、子どもたちと川原に出かけた賢治は聞きました。
「お前たちは何のために生きていると思うかい。」
ある子は「お金をたくさんもうけるために。」と答え、
ほかの子たちもそれぞれに自分の思いを伝えました。
それを聞いて、賢治は象のような優しい目をして笑うと(やけにこのくだり印象的に覚えています)
こう言いました。
「わたしは、人は自分が何のために生まれてきたかを、真剣に考えるために生まれてきた、と思います。」
今思うと、だれがこの文章を書いたのだろう? と考えるのですが、
とにかく、この文章が今でも鮮明に印象に残っています。
私は分りませんが、「人間は、自分のうまれてきた周りの世界と出会い、
親しくなるために生まれてきたのかもしれない。」と、今の私だったら答えるかもしれません。
そう、でも考える毎に、いろいろなことに気づくたびに、
私は、自分のほんの周りのことですら、なんらわかっていないということに気づかされます。
この写真は、ある晴れた朝、子どもたちの登校中に眠い目を擦りながら、
交差点(ほんの小さなところ)で交通整理をしているときに見つけたものです。
何だと思いますか? 実は、道路に映った自動販売機の反射した像なのです。
写真では、販売機の一番下の部分がわずかばかり見えています。
自動販売機自体は真っ赤なポストのような感じで、
その表面に、透明なプラスチックがついているだけなのですが、
それが、やけに虹色のように美しく輝いているのです。
それも、影が射しているところが特にくっきりと輝いています。
何でだろう、どこからこの色は生まれるのだろう、
と今までの知識を総動員してもこの謎はまったく分りません。
ただ、この透明のプラスチックの反射だということだけがわかるだけです。
そして、無条件にこの色合いが美しくて、家にカメラを取りに帰ると、何枚も何枚も撮ってみました。
走る車の影をそこに投影させて、より鮮明な写真を取ろうと試みたのですが、
結局うまくいきませんでした(上の陰は自動販売機の影、下の影は走っていく車の影)。
二つ目の写真も影を取った写真です。こんどは駅のホームでした。
心理学の本で、光が当たっている部分が意識の部分で、影になっている部分が無意識の部分である、
という記述を読んだことがあります。
太陽の光の下では、太陽の光がまぶしすぎて、
他から射し込んでいるわずかばかりの光などが見えない状態になっていますが、
影の部分では、その光が、鮮やかに浮かび上がっています。
意識の力を自分の意志で弱くしたとき、他からの微妙な感じ方や考え方が
より鮮明に、より繊細に、より多様に映る、ということを象徴的に表しているような気がします。
私たちの身の回りに、不思議なことはたくさん転がっています。
私たちが、興味を持って、周りを眺めることで、
それらのものとひとつひとつ出会っていきたい、と決意するこの頃です。
2004.6.4.