明けましておめでとうございます。

皆さま、楽しいお正月を過ごされたでしょうか?
お正月が明けて、やっとぼちぼち、窓を磨いたり、
床の間を掃除したりしています。

年末からは木工作業に明け暮れていました。

そんなバタバタの中でも、30日には餅つきをしました。
私の子どもの頃は、
たくさんの人たちが総出で餅つきをしていました。
祖父は餅の取り手をしたり、 ついた後の餅を鏡餅にしたり、餡餅にしたり、 普通の丸餅にしたりしていました。
鏡餅にするときの手つきは見事だな、と思っていました。

大きくなって、
お菓子屋さんの餅つきを手伝ったことがありました。
その方の鏡餅の丸め方、
餡餅の丸め方は目を見張るものがありました。
「私の祖父の技術はそれほどではなかったんだ…!」
と思った記憶があります。

私の父の代になって、
いつしか餅つきは、機械による餅こねに変わっていました。
機械の中に蒸した餅米を入れて、
ウィン、ウィンと回すものです。

父が他界して、ある時母親に言いました。
「また臼でついてみよう。」
「また、そがんぞうひょうがましかこつばして。」
(意味の答えは最後の行)とかなり反対されましたが、
一人でもついてやる!いや、つける!という妄信とともに再開しました。
始めてしまうと、母親は無抵抗、いや協力的でした。
今回は若者も揃い、ほとんど私の出る番はありません。
それでも、最初の準備から餅の仕上げは私の仕事です。
気がつけば、そのころの祖父と同じ年ごろになっています。

行事というものは不思議なものです。
お正月を基準に「ああ、お正月がやってくる。」
から、「お正月が終わってしまった。」に変わります。
日々通り過ぎていく時間の中で、
特別な日を設定することで、二つの流れに変わります。
わたしは、このことを<またぎ現象>と呼んでいます。

それはこんな感じです。
目の前に小さな水路があり、水が流れています。
側から見ていると、
一方向に流れているだけなのですが、
その水路をまたぐと、
流れが自分にやってくるものと
自分から遠ざかるものに変わります。
つまり、二つの流れに変わるわけです。
やって来たものは、自分の中で変化し、
自分から去っていくのです。
呼吸のようでもあり、いろんなもののようでもあります。
なんだか、当たり前のことのようでもありますが、
何か本質的なものを含んでいるように感じます。
いろんなことにつながるようにも思います。
呼吸のようでもあり、いろんなもののようでもあります。
なんだか、当たり前のことのようでもありますが、
何か本質的なものを含んでいるように感じます。
いろんなことにつながるようにも思います。

今年のお正月は良い天気に恵まれました。
最近、<まなざし>に関しても気になっています。

辺りは優しいお日さまの光に包まれています。
それは、お日さまの優しいまなざしでもあります。
世界に対する、私(各一人一人)に対する愛情でもあります。

皆様が優しいまなざしに包まれますように。

本年もよろしくお願いします。

*母の言葉の意味「また、そんなつまらなくて面倒くさいことをして。」

2022/1/7 井手芳弘

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