年をとると、いろんなことを思い出すようになります。
若いころに行った愚行を思い出し、心を痛めることがあります。
(これは、若気の至りという言葉の治療薬でほぼ完治しました)
「昔出会った人にもう一度会っておきたい。」という気持ちが起きてくることがあります。
そんな中の一人に、多良岳の山小屋のおばさんがおられます。
夏になると思い出すことがあります。
大学生の時に友人に誘われて佐賀県と長崎県の県境にある多良岳に登り
山小屋に泊まりました。
山小屋の側には金泉寺というお寺のお堂がたっていました。
金泉寺といえば、かの有名な佐賀県の民謡である『岳の新太郎さん』の題材となった
伝説のイケメン新太郎さんが住んでいた場所でもあります。
小学校音楽の時間にこの民謡を習ったのですが、歌詞を読んで、
子ども心にハンサム(死語?)な人だったんだろうな、と思った記憶があります。
それから、どういうわけか私はその山に憑りつかれたかのように頻繁に登るようになりました。
岳の新太郎さんにあやかりたかったわけではありません。多分…
山というよりも、その山小屋が目的でした。
そこには小野輝子さんという管理人のおばさんがおられました。
最初は厳しそうだったのですが、
実はとても優しい方で、
そこで巻き割りやら、いろんな手伝いをしました。
そんな中で、不思議な体験、恐怖体験などをしました。
その中のいくつかはこのつれづれにも書いています。
その時は何の変哲もないと思っていたことが、後から考えると、
<とても貴重なものだったんだ>
と気づくことがあります。
この山小屋での体験もそんなものの一つかもしれません。
* *
最近、観光パンフで、
<この多良岳一帯が日本最古の修験道の場所である>
という説明を見ました。
なぜ、中央から遠く離れたこの場所に古くから
修験道が栄えたのかは不思議です。
私はというと、実は修験道オタクで(ほかにもいろんなオタク)
遠野の早池峰神社も忘れてはいけません。
だからと言って、修験道に詳しいわけでもなく、
ただ自分の興味に任せて訪ね歩いていました。
そのルーツが大学時代になんとなく登っていたこの多良岳につながっていたのは驚きです。
そういえば、多良岳の登り口にひっそりと立つ役行者(えんのぎょうじゃ)の石像が
なんとなく気になっていました。
山小屋のおばさんは、
いつも下の轟のお寺の息子さんのことを話されていました。
それで金泉寺の本堂のお寺を訪ねてみようと、
意を決して出かけていきました。
最近は便利です。
グーグルマップに目的地を入れるとそこの地点へ案内してくれます。
広い道から山道へ入ります。
道は細くなりますが、舗装されています。
道路の橋のところどころに石がごろごろと落ちています。
こういう時には古い車が安心です。
傷がつくのを心配しないで走れます。
「こんな山の中のお寺に住んでおられたんだ。」
車のない時代はさぞかし大変だったんだろう、と想像してしまいます。
いよいよ、目的地に着いてみると、
そこには建物一つない場所です。
「お寺はとうに畳まれたのだろうか?」
そう思って、グーグルナビを見直すと、
なんと金泉寺登り口という表記に変わっています。
「なんだ、やっぱり違う場所に案内されたんだ!」
グーグルナビで時々あることです。
とりあえず、車を止めました。
そこには1台の車が止まっていました。
多分、多良岳に登られた方の車でしょう。
登り口のところまで歩いていくと、
ちょうど上の方から石段を下りてくる二人の若者に出会いました。
早速、その二人に話しかけました。
「金泉寺の本堂を探しているけれども知りませんか?」
すると、そのうちの一人が、
「金泉寺は上の方です。」と答えてくれました。
「いや、私が探しているのは山小屋の側のお堂ではなく本堂の方です。」というと、
「金泉寺の本堂は山の上のお堂です。」
「そのほかにはありません。」
との答え。
そこで、「以前山小屋の管理人をされていた方の息子さんのお寺を探している。」
と伝えると、
なんと、その若者は詳しく状況を話してくれました。
その若者は真言宗の僧侶で、今は福祉大学で学んでいること。
金泉寺と下のお寺を管理している僧侶のこと。
金泉寺で護摩火焚きをしていること。
などなど、私が知りたい情報をすべて教えてくれました。
なんと稀有な偶然でしょう。
まるでその時間に待ち合わせをしたかのような出会いでした。
そのめぐりあわせに感謝しつつ、
元来た山道を戻っていきました。
往きも帰りも一台の車とも出会いませんでした。
「よし!また来るぞ!」
2022/06/03 井手芳弘