大変な物(?)を見つけてしまった。
「宝のありかの地図?」
「いや、別世界への入り口の地図のようなもの。」

1時間整理が進み、身近な一部屋をだいたい整理して、
弟を黙らせた後、少し余裕が出たので、
果敢に2階の部屋をトライすることに。

そこは、触れたことのない(?)未知の混沌領域。
とうとうそこに足を踏み入れた。

1時間整理の利点。
忘れてしまっていたものが突如現れてくる。

あ、こんなものがあったんだ、
今の自分を形成しているもの、
普段は気づかないものが明らかになってくる感じ。
その中から見つけた、一枚の折りたたまれた古い紙。
宝の地図?
開けてみると、
それは中学校の掲示板に貼られていた理科ニュース。
そこにはそれぞれ違う日の太陽が
沈んでいく動きがプロットされている。

「そういえば、息子の参観日の時に頼んで、あとで貰ったんだった。」
「<これを見ればいつの季節か。どの緯度のものかがわかる。>と発見したんだ。」
「懐かしい、懐かしい。」
「そういえば、これを講座や教室で見せたことはなかったな。」
そう思いながら、今まで気にしていなかった説明の文章を改めて読んでみる。
「フムフム、季節によって太陽の沈む角度が違う…」
「なるほど!」
「うん?!?!」
「角度が違う‥‥???」
「いや、そんなはずは…」
ここで見事に一時間整理は15分で破綻。
手が止まり、その紙とにらめっこ。
「いや、どの季節でも沈む角度は一緒のはずだ。」
「90度-その場所の緯度=沈む角度だよね。」
「これはおかしい。」
「どうして、こんなことに気が付かなかったのだろう。」
興奮とともに、SNSに投稿して、皆さんの意見を聞くことにしました。

R・シュタイナーは実践的思考についての講義をしていますが、
私にとっての実践的思考は
いったん自分のたどった思考をほかの人に投げてみることでもあります。
投げてみると、自分が想定しない意外な答えが返ってくることがあり、
そのことで自分が作っている殻から抜け出せることがあります。

今回は、問いを投げかけたとたんに、「えっ?待てよ?」
「ひょっとすると、角度同じにならないかも?」と考えてしまいました。

そこから、今まで入り込んだことのない、
主観と客観との狭間の世界に入り込むことに…

学校で習った太陽の動きの図はこのようなものです。


皆さんもこういう図を習われたか、と思います。
この図を見る限り、角度は同じようです。
でも、実際に私たちが見ているのは、図の真ん中です。
真ん中から見ると、太陽の移動を表した円盤は少し横から見ることになります。
そして、気が付きました。
先ほどの図の見え方は、どこにもないいということを。
宇宙中探してもこの図の見え方は存在しないのです。
星々を球の表面に貼り付けた天球儀と同じもので、
言ってみれば神様の世界の視点で、
思考上の世界にだけ存在するようなものです。

それから、何かに憑りつかれたかのように、
「どうしてこの角度を出せばいいか、どうやればいいのか?」
と来る日も、来る日も悩み続けました。
要は、学校で習った天球儀の中の太陽の動きの図の真ん中に
自分を置いたときの地面との角度を出す作業です。
どういうわけか沈むのを想定するのは難しく、
昇るときの角度で考えることに。

そのためには円盤の地面と接する点の接線の角度を求めること。

その接線を今度は90度の方向に56度(北緯34度の場合)倒すこと。
それをまた、30度ほどの横の位置から見ること。

図を描いてやってみますが、
私の想像力の限界を超えています。

とうとう、ギブアップ。
模型を作ることにしました。

思いのほか時間がかかり、夜なべして、ジャジャン!
完成!

早速56度定規を作って測ることに。

「冬至の時は56度よりも低い!」
「フムフム、想定していた通り!」
「よっしゃ!」
「今度は夏至じゃ!(長老言葉になっている)」
「56度より高い!?くない???」
「現実は小説より奇なりです。」
なんと、低いではありませんか!!!」

「自分の作った模型の精度の問題かもしれない。」
「眠さでもうろうとしていたし。」

にわかに信じられなくて…(受け入れがたい事実はそんなものです)
キャド(製図用のソフト)を駆使して計算することに。」
やっとわかった角度の出し方は角度を立方体の中に閉じ込めることでした。
実際に製図して測ってもよかったのですが、
より正確さを期するためにキャドの作図を選びました。

そして出てきた結果もやはり56度より低いものでした。
「スッキリ!!」
晴れ晴れとした気持ちです!
*         *
問題が解決して、すがすがしい気分と共に水行をしている時に(ホットワラー)
ふと、
「同じ角度で上がるにはどのような天球儀がそもそも描けるのだろう。」
と考えてしまいました。
ああ、もうダメです。
また考えが泥沼に入っていきます。
「そもそも平行って何?」
ということが分からなくなっています。
R・シュタイナーは、夏は思考を働かせる季節ではないと言っているのに…
別の世界の入り口を見つけたのはいいけれど、
そこから出られなくなっています。
いつしかホットワラーの中でゆだってしまっていました。

2022/06/17井手芳弘

注:太陽が沈むときの角度とは、
あくまで沈む瞬間の時の角度であり、
その前の曲線移動の角度は考慮に入れていません。

つれづれ437お日さまの沈む角度」への1件のフィードバック

  1. 理科ニュースは、夏が角度が大きく、
    冬が小さいとありますが、
    一番角度が大きいのは、春分と秋分ということですね?
    理科ニュースの写真は、冬至と夏至に関しては
    間違ってはいないということですか?
    角度が変わるのは、見かけ上(人間の視点で見た時に)ということですね?

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