久々の日々が始まりました。
2019年の3月に行こうとしていましたが、
コロナであきらめ、
やっと、何とか行くことができました。

気が付くと、4年もたっていました。
コロナの感染からそれ程日にちが経ったのか、
と驚くばかりです。
世界がすっかり変わってしまったかのようです。

バスで到着すると、
ニーダー氏はいつもの日産リーフで迎えに来てくれました。
家に着くなり、新しく改装されたホールを案内してくれました。

ここでは、7月17日にザーレムライア工房42周年の記念式典が行われました。
記念式典までにこのホールを何とか完成させなくてはならなくて、
大変な思いをされたようです。

私も招待されましたが、残念ながら、別の予定が入っていて
行くことができませんでした。

招待したのは60人ぐらいだったそうですが、
当日のコンサートのポスターを見て近郊の人々たちが集まってきて、
なんと、120人の人たちが訪れたそうです。

草原の真ん中に4,5件の家が建っているだけの場所なので、
100台近くの車を草原に停めることができたそうです。

また、足りない椅子を近所の人が持ち寄ってくれて、
何とかコンサートを開くことができたそうです。

たくさんのライア演奏家たちが訪れたそうで、
ニーダー氏の人望の厚さを垣間見ることができました。

また、ゲルトナー工房時代の恩師であるヴォルフ氏や同僚であったヨエックス氏も来てくれたそうです。
ザーレム工房で3年ほど働いたことのあるヨエックス氏は、
ほかの招待客たちの接待で忙しいニーダー氏の代わりに工房を案内してくれたそうです。

「ヴォルフ氏はたいそう喜んでくれた。」
とニーダー氏は目頭を熱くしながら語ってくれました。

多くのお客様たちは、
この片田舎で何が行われているのかということに興味津々で、
初めて見るライアにとても驚かれていたそうです。

コロナのせいで
延ばし延ばしにしていた記念行事を行うことができたことに
ニーダー氏は胸をなでおろしていました。

ただ、たくさんの時間と全精力をつぎ込んだそうで、
そのあとの疲れようは尋常ではなかったようです。
そのあとすぐに休暇を取りたかったそうですが、
私のために休暇をずらしてくれました。

と言っても、これまで42年間、
全く休暇をとっていなかったようで、
私が帰った後に休暇を本当に取るのかはわかりません。
それ程働くドイツ人をあまり見たことがありません。

この4年間にザーレム工房は大きく変化しました。

それまで弦工房で働いていたヒルディガートさん、
ライア作りのイザベラさん、
ギターマイスターのアンドレアスさん、
などが次々と退職し、

現在は娘さんのラッヘルさんとベロニカさんが手伝っているだけです。

早速、翌日からライア塗装の作業に入ることになりました。

まず、ライアを機械で磨き上げ、それから手作業で磨いた後に、
ニスを塗っていく作業です。

ニーダー氏の指導のもと、作業を進めていきます。
何度か指導を受け、日本でも何度か塗装していますが、
ライアを塗装するのは緊張します。

磨き上げては塗装し一日置き、
また次の日に磨いては塗装する、
という日々が続きます。
5度ほど繰り返した後、
新しい塗装方法を確認しつつ、仕上げをします。

最後にワックス仕上げをするときには
ライアが美しく輝き、とても達成感があります。

塗装が終わり、数日間置いた後、
今度はフレット取付用の溝切と取り付け、
細いピン用の穴あけと取り付け、
ピン用の穴あけとピンの取り付け、
それからブリッジの調整
そしてやっと弦張りです。

2週間の滞在中、
ほとんどこの塗装に時間を費やしました。

今回は弦づくりの体験もさせてもらいました。
芯線に細い線を巻いていきます。
ニーダー氏が見本を見せてくれますが、
もちろん、真似をしてもなかなかうまくいきません。

それでも、何とか弦を巻くことができ、
その弦をライアに張ってきれいな音が出たときには
なんとも言えない嬉しさがこみ上げてきました。

今回、たくさんの話を聞くことができました。

今回の記念祭のこと、
コロナの状況、
家族の様々な問題、
工房で起こったいろんな出来事、
現在の世界の情勢、
若者が抱える、様々な問題。
この4年間のブランクを埋めるように話が進みます。

そんななかでも、ライア衝動については
ニーダー氏の話に特別熱が入ります。

初代ゲルトナー氏から受け継いだライア衝動を後世にどのように伝えていけばいいかを
真剣に考えてる様子がうかがえます。
ライアにかける熱意を知ってか、
工房にはひっきりなしに注文が入り、
沢山の注文を断らなければならなくなっています。
「本当に納得できるものを心を込めて作っていきたい。」
と、ニーダー氏は語ってくれました。

「ここは世界の果て。」
ニーダー氏の口癖です。
標高が高いため、30度を超えることはほとんどありません。
携帯の電波もなかなか通じません。
静寂に包まれ、時折牛の鳴き声が聞こえる程度です。
ここに居ると、まわりで起きている様々な出来事がうそのようです。

周りの景色はいつも訪れていた早春とは違い、
樹々は緑の葉を光と風にそよがせています。
いたるところにリンゴの木が実をつけています。
最初にドイツを訪れた40年前の夏が思い起こされます。
場所もこの近くで、
通りのリンゴをもいで食べたことを懐かしく思い出しました。
つくづく、この地域との結びつきの深さを感じずにはいられません。

2022/08/19 井手芳弘

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