いよいよ、奈良研修も6日目、
いや6回目を迎えました。
考えてみたら、2日間のことを
6回分まで伸ばしています。
いかに、頑張って研修しているかがわかります
(時々、単なる遊びだという声が聞こえてきます)。
車はいよいよ室生寺へと向かいます。
本道から川沿いの細めの道に入り、
懐かしい感じの道をしばらく走ると
室生寺の駐車場の矢印があり、
そこを登っていきました。
まるで、神楽を見に来た時のような雰囲気です。
だだっ広い駐車場にポツンと車を止め、
家が並んだ川沿いの道を歩きます。
お寺があることで栄えているいわゆる門前町なのでしょう。
うっかり行き過ぎて道を聞き、
やっぱり行き過ぎて迷っている人を助け、
橋を渡りました。少し湾曲した川が結界の役割を果たし、
そこに橋が渡されています。
神社では時々見る形ですが、お寺では初めてのような気がします。
階段を上がっていくと、
そこに苔むした本堂が立っていました。
何とも言えない落ち着いた原初的な存在感を醸し出しています。
時間がたったせいか、
建物と五重塔と雰囲気はよく覚えているのですが、
そのほかのことは記憶にありません。
仏様がどのようなものであったか、
も忘れてしまいました。すみません。
ただ、とても古い感じがしたのと、
徳川綱吉の母君の多大な寄付で、
危機から救われたという話が印象に残っています。
つぎは、もう一つのおすすめの山上公園です。
室生寺に行く手前に上り口を見つけていたので、
さっそく車を走らせました。
さすがに、5時が近づいています。
これが公園に行く道?というような
細い道を通りながら一路向かいます。
到着したのは4時50分。
急いで、建物の中に駆け込み、
そこら辺の資料を眺めていました。
そして、「ほんのちょっと、そこから覗いていいですか?」
と入場口のところからきょろきょろしていると、
「よかったら中に入られますか?」
「5時までですけど少し過ぎてもいいですよ。」
「えっ?」「いいんですか?」
「入場料もいいですよ。今度またゆっくり来てください。」
「きゃー!」「超親切!」
早速、駆け出すと、丘を駆け上り、
トンネルくぐり、息を切らせながら一番上まで。
あと4分。できれば5時までには戻ってきてあげたい。
下りもまるでトライアスロンのように駆け下り、
大汗をかき、ハアハア言いながらお礼を言うと、
次は龍鎮神社へむかいました。
室生寺の先の龍穴神社へまず向かい、
龍鎮神社へと車を走らせます。
メールで教えられたように車を走らせ、
ダムのわき道をひたすら走りますが
なかなか行きつきません。
本当にこの道で?と少し暗くなりかけた道を急ぎます。
なんとか目印の赤い橋を見つけ、
車を道のわきに寄せ、あとは歩きです。
渓流に沿って道が続きます。
ゆるやかに流れる清流のところどころに淀みがあり、
そこで昔修験者たちが
瞑想している様子が思い浮かべられます。
それまでのバタバタな気持ちが少しずつ落ち着いていくのを感じます。
突如、道の下の川にしめ縄と鳥居とほこらが見えました。
そして、そこには大きな淀みが…
それを見たとたんに、私には龍鎮神社の意味が理解されました。
そこには川の流れとともに整えられていった私の中の流れが
スーッと深く静まるのを感じたからです。
渓流の水は三度ほど静かにリズムを打って
淀の中に沈み込みます。まるで、泉のような淀みです。
夏の一日、駆け抜けた私の中の流れが、
静かに、静かに、深く、深くなっていくのを感じました。
それは、一日の活動の中の、しばしの瞑想の時間のような感じです。
流れを整えよう、そして淀みを作ろう。
そして、しばし星を映そう。
「オッと、帰らなきゃ!」
グーグルナビに導かれ、
ありえないような山道を通りながらひたすら奈良の街へと向かいます。
「奈良駅のそばのホテルまで後20分なのに、この山の中??」
再び、アドベンチャー的動きが始まりました。
長い長い一日です。
そんな中で、龍鎮神社は
私の心の中に深い深いイメージを残してくれていました。