話は再びザーレムライア工房に戻ります。

食事をしながら、おやつを食べながら、
ニーダー氏はいろんな話をしてくれます。

もちろん、よく話題に上るのがライアについてです。

ニーダー氏はそんな中でライアの本質について、
様々な実例を挙げながら話をしてくれます。

そしてニーダー氏がプラハト氏と初代ゲルトナー氏から受け継いだ
ライアの衝動<ライア・インパルス>(ライアの本質の流れ)
についての話が出ます。

新たに誕生したライアはこれからどのように発展していくのか?
本質的なものは受け継がれていくのか?という問いです。

話を聞く中で、ライア協会やライア制作者たちに対するニーダー氏の無私の関わりが、
こういう思いから生まれているのだ、ということがよくわかりました。

ここからは、ニーダー氏のお話です。

最初にライアに思い当たったのはエドモンド・プラハト氏でした。

彼は音楽家で、
スイスのドルナッハの近くにあるゾンネンホフという障がい者の施設で働くことになりました。
ある日、障がいを持つ子どもたちの前でピアノを弾いたそうです。
彼は素晴らしい演奏をしましたが、子どもたちは耳をふさいだそうです。
なぜそういうことが起きたのかと考えるうちに、
繊細な子どもたちは
<ピアノの強大な張りの弦から生まれる音に耐えられなかったのではないか>
という考えに行きあたりました。
そして、ある日、ピアノの中から弦の張られた枠を取り出して、
指で弾くという夢を見たそうです。
それから弦楽器の職人に頼んで何台かイメージするものを作ってもらったそうです。

そのあと、ローター・ゲルトナー氏と出会い、
今のライアの原型ができたそうです。

「二人が出会い、散歩している時に、
火事で燃えたゲーテアヌムの建物の焼け跡から見つけた木のかけらから
インスピレーションを受けてその形が生まれた、
という話が広まっているけど、それは事実ではない。」
とニーダー氏は語ってくれました。
「そうやって、事実と違うファンタジックな話が広まっていくんだ。」と。

それから、改良を重ねながら、
今のゲルトナーライアの形になりました。

その後、ゲルトナーライア工房は全盛期を迎えます。

たくさんの職人が働き、ライアが量産されていきました。
ニーダー氏も工房で働いていました。
それでも、生産が追い付かず、コロイを始めとして、
いくつかの工房がライアを作り始めました。
アウリスも後に続きました。

ニーダー氏は、ゲルトナー氏から
ゲルトナーライアを継承する三人の職人の一人として認められました。
ニーダー氏は独立した後にライアを作り続けましたが、
その中の一人は音楽家としての活動に進み、
もう一人はチェンバロ職人としての道を進み、
ライアを作り続けたのはニーダー氏だけでした。

ゲルトナーライア工房では、職人が分業制になっていて、
ニーダー氏のようにライア本体を作る人と、弦を張る人が分かれていました。
そのため、ライアを作る人は自分が作ったライアがどのように響くか、
ということを確認できないままだったそうです。

ニーダー氏は自分の工房で楽器のみならず、
材料の木の伐採から関わり、弦も自作しています。

そのことで、自分の作った楽器の響きを自分で確かめることができ、
ライア演奏者からのフィードバックも参考にして
ライアをより良いものに発展させていきました。

そんな中で、プラハト氏とゲルトナー氏から受け継いだライアという楽器の本質がニーダー氏の中で温められてきました。

彼は言います。

「他の楽器とライアの違う点は、
自分をあまり外に向けて表現しない点である。」
「どちらかというと、自分の内側に向かい、
自分自身と出会わせる働きを持っている。」

ライアがなぜ治療教育の場で使われてきたかわかるような気がします。

ある時、よく知られたピアノの演奏家の人が工房にやって来て
ライアを注文したそうです。

ニーダー氏は「それ程ピアノを極めていて、どうしてライアが必要なのですか?」
と尋ねたそうです。
彼女は「ピアノは仕事として必要な楽器です。ライアは私自身のためです。」
と答えたそうです。

オーケストラの楽器とは違う、自分に向き合う楽器としてのライア
外に向かうのではなく、自分自身と出会う楽器
そういう響きをこれからも追及していきたいとニーダー氏は語っています。

そのためにはライア自体も単なる物として機械的に作るのではなく
<いかに作り手を関わらせていくか?>
にも意識を向けています。

全体を削り出す作業も手作業で行なっています。

昔はバイオリンなども手作業で削られていましたが、
現在は機械で形を作っているのがほとんどです。

「いずれ、ライアも中国あたりで、
すべて機械作業で作られていくかもしれない。」
と彼は言います。

「ライアを作るときにはやる気がある時にやり、
気乗りがしないときには、ほかの作業をする。」
とも語っています。
ライアに嫌な気持ちを乗せないようにしようとする姿勢です。

単に物ではないライアという楽器を作る姿勢を見せられた気がしました。

「現代人は不安を抱えている。
ライアが本質的な自分と出会う手伝いになり、少しでも多くの人がそのことで癒えていってほしい。」
という強い願いを感じました。

ライアはこれからどのような道をたどっていくのでしょうか?

そして、その中に込められたライア衝動は?

2022/9/16 井手芳弘

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