303 奈良研修・8(薬師寺、唐招提寺)

暑さのせいと百済観音像のすごさと

自己研修の集中のし過ぎで

朦朧としながら次は中宮寺へ向かいました。

中宮寺の弥勒菩薩は美しさでとても有名です。

水の張られた四角い池の真ん中に

建物が建っていて、

その屋根には水の反射の波紋が漂っています。

こじんまりとした建物で、

中宮寺というよりは中空寺といった感じで

宇宙的な感じがします。

建物も近代的なコンクリート造りです。

広い階段を上って、

靴を脱いでオープンな建物の中に入ります。

受付の女性の方がおられて、

座ると、説明(受付の人の説明だったか、

テープレコーダー?だったかよく覚えていません)

があります。

お寺、というよりは博物館といったイメージが強いところです。

弥勒菩薩様は今まで写真で見ていたときは、

黒光りしていたので、青銅の鋳造かな、

と思っていたのですが、

近くで拝んでみると、その黒光りは木造の仏像が、

長い年月の間、

ロウソクや線香の煙によって燻された結果

だということがわかりました。

それだけ、人々の身近な信仰を集めてきたのかもしれません。

その弥勒菩薩の隣に、

韓国か中国にある兄弟のような

弥勒菩薩の写真が飾ってありました。

見比べてみると、この弥勒菩薩が

いかにシンプルであるか、ということがわかりました。

宇宙的な感じがするのはそのシンプルな髪型のせいなのでしょうか?

法隆寺を離れ、バスで少し走り、

薬師寺に向かいました。

この薬師寺の建物の大きさと仏像の巨大さに圧倒されました。

仏像が巨大なために建物が火災にあった後も、

仏像は動かさず、そのままその上に

建物を再建されたように思います。

もちろん仏像は地面の上に直接おかれています。

床に置いたのではたまらないでしょう。

何とも巨大な塔や金堂、

講堂などを眺めながらめぐっていると、

大きなパビリオンがある会場を

巡っているような気がしてきました。

そう言えば、昔行った大阪万博の会場に七重の塔と蓮池があったように思います。

道の途中、子どもが写真を撮っていたので、

なんだろうな、と思ってみてみると。

一枚の蓮の花ビラが葉の上に乗っていました。

あとで写真を見てみると、

隣の葉にアマガエルが乗っています。

こちらの方を撮っていたのでしょうか?

それから歩いて唐招提寺へと向かいました。

どういうわけか途中の細い道が印象に残っています。

唐招提寺も昔修学旅行で訪れたことのあるところです。

当時はつまらないと思っていたのですが、

訪れていると何らかのつながりが見いだせる気がします。

当時のガイドさんの説明で、

唐招提寺の柱はヘレニズム文化の影響で、

エンタシス(中央が少し膨らんだつくり)になってるということが頭に残っています。
それと、

中国から大変な思いをしてやってきた

鑑真和尚の生涯です。

度重なる苦難で、盲目になりながら日本にたどり着き、

この唐招提寺で生涯を閉じた。という話です。

当時もなんとも凄いものを感じました。

また、『天平の甍』という鑑真和尚の

生涯の映画をみたことも印象として重なっているのかもしれません。

確かに中央が膨らんだ形をしています。

「そうだ、そうだ。」

昔体験したことを確認するようです。

今回はその柱がどのように修復されているか、

という細かいところまで気が付きました。観察を続けた結果です。

金堂を過ぎ、

境内の中を歩いて別の古い建物のところに来ると、

若いお坊さんが縁の古いデコボコの板を丁寧に雑巾がけされていました。

挨拶をすると、

「ところでここの宗派は何宗でしょうか?」と聞いてみました。

すると「○○宗です。」と聞き慣れない言葉。

「ここはお坊さんの戒律を学ぶ、

学びやのようなところです。」という答えでした。

どうも、ほとんど独立している宗派のようです。

今回初めて知ったことなのですが、

この唐招提寺や法隆寺などのお寺には、

一般的な宗派がないようです。

例えば、浄土宗などの宗派は本山があり、

各地にその宗派のお寺があります。

また、檀家制度が確立していて、

真言宗を除きほとんどのお寺が檀家を持っています。

ところが、これらのお寺は

檀家も持っていないわけです。

聖徳太子以降、

様々な時代を経て支えられてきた、

寺社が明治維新とともにその支えを失って

大変な思いをすることになったのだろうと想像します。

そんな中で、法隆寺や唐招提寺は

自分たちの信仰のために、

多大な費用と労力、宗教心を集め、

素晴らしい仏像と建物を作り上げました。

そのことが、今となっては、

たくさんの観光客が訪れることとなり、

その入場料の収入が大きな支えになっているわけです。

昔の人は、そんなこと想像もしなかったのだろうと思います。

ふと、ドイツのノイシュバンシュタイン城のことを思い出しました。

バイエルン州にある、

シンデレラ城のモデルにもなったこのお城は、

バイエルン州の王だったルードヴィヒ2世がたてたのですが、

余りに費用をかけすぎ、

バイエルン州の財政を危機に導いたので、

そのお城に幽閉されてしまったそうです。

ところが、現在ではそのお城のおかげで、

たくさんの観光客が訪れるようになっているわけです。

いよいよ次の日からはミュージックケア大会だー!

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