秋の好天が続いています。
樹々の葉が色付いてさぞかしきれいな事でしょう。
そんな中、やはり気になることがあります。
すみません。
気になることがほかにもあって、
というか、それを書いてしまう私をお許しください。
なるべく考えないようにしようとしているのですが…
ふと、考えてしまうのです。

それは、地面に描かれた楕円は楕円かどうかです。

地面に描かれた、まんまるい円(真円)は実は、
ある場所を除き、すべて楕円の形として見えています。

見ている本人にとっては円として感じますが、
写真にとると楕円です。

このこと自体とても不思議なことです。

どんなに遠近法をかけても、
円はきれいな楕円(真楕円?)として見えます。


「どんなに遠近法をかけてもです!」
「す、すごくないですか!」
「……( ^ω^)?」
「大観覧車の円盤だってです!」
「………~~」

<描かれた真楕円を見ると何の形に見えるのだろうか?>
という問いに悩まされています。

そもそも、
円を見ると楕円に見えることだけでも不思議な事で、
理解できないことです。

でも、
そのことを水行(ホットワラー)をしながら
ずっと考えていく中で、
ほかのいろんなことに気付くことができました。

かすかな逃避です。

懐中電灯で地面を照らすときに
明るく照らされた場所は実は楕円になっているのですが、
懐中電灯の位置から見ると
きれいな円に見えるはずです。

鉄腕アトムから見ると、
自分の目から出した光線が当たったところは
いつもまんまるだったはずです。

ということは、
描かれた楕円を見ると
真円に見える場所があるということです。

光線の角度を絞っていっても楕円だ、
ということは、どんなに離れていっても
円に見える場所があるということです。

神様にも楕円が円に見える場所があるはずです。

実は同じ楕円を別の場所からも作れます。
先ほどの位置と反対側から光を当てることで作れます。
ということは、楕円は円に見える場所が
もう一か所あるということです。

私は楕円が円に見える
このもう一つの場所を探してはカメラに収める、
ということをやり続けたことがあります。

そして、年賀状の画像にもしました。

今はどこに行ったか分かりません。

懐中電灯の明かりの上の縁を地面と平行にすると、
地面には放物線ができます。
ということは、放物線にも円に見える場所があるということです!
でもそのためには放物線を無限に引く必要がありますが…

「ま、待てよ、」
「それじゃ、もう一か所の円に見える場所はどこに?」
「永遠のかなた?」

神様は見ることができるのかもしれません。

懐中電灯を更に持ち上げると、
地面にはなんと双曲線ができてしまいます。
不思議です。

待てよ、
ということは双曲線にも
円に見える場所があるということです。

もう一か所の円に見える場所は?
考えたくもありません。
頭がぐちゃぐちゃです。

「待てよ!」
「双曲線を円に見える場所から見ても
完全な円にはならないじゃないか。」

懐中電灯で空を照らした部分は描けないからです。

「うーん」

水行は続きます。

「そうだ!」
「ゼウスの雷だ!」
「空海の仏具(?)だ!」
「砂時計だ!」

「懐中電灯の光を反対側にも延ばせばいいんだ!」

両頭の懐中電灯を持った人が
後ろの地面に射した光を見ると
欠けた円の部分が見えているはずです。

「やったー!」

「ということはある一点から前後を見ると
円の一部として見え、
それをつなぎ合わせると円になるということだ!」

「~~~~~~」

2022.11.04.井手芳弘

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