306 日向ぼっこに行きたい

まだまだ、お正月ボケをひきづっています。

というか、ひょっとすると奈良研修ボケかもしれません。

いや、引きずっているのは楕円です。

「えっ?また楕円」「そこまで引っ張る?」

そうおっしゃるのも無理はありません。

私としても、そんなつもりはないんですが…

分かった、と思ったとたんに、

またわからないことが出てきて…

と書いていると、

焼きカレーの楕円のお皿が

「私も楕円よ!」「どう?」って、語り掛けてきます。

円テーブルはすべて楕円になっているし…

でも、こうやって、

一見何の変哲もないことを

ずっと深く進んでいけるというのは、いいことかもしれません。

いっそのこと、

楕円教室に通って徹底的に学べればいいのに、

と思ってしまいます。

そして、楕円認定書を取って…

ついに、

楕円と惑星の軌道が結び付き、

惑星の軌道が描く楕円は地球から見たら

どのように見えるのだろうか、

その地球も太陽の周りを楕円軌道で回っているんだよね。

などと考え始めると、もう考えることを放棄して、

誰かにゆだねたくなります。

このまえ、満月の月を眺めていました。

そして、天動説と地動説のことを考えていました。

「そういえば、ある時期

このテーマにはまって、ずっと考えていたよなー」

と懐かしく思い起こしていました。

ドイツの教員養成ゼミナールで

天動説のことを知って、黄道12宮の動きに熱中してから、

ずっと考え続けたテーマでもありました。

地動説は自分の立ち位置を

地球から離した宇宙空間のある場所に置くから、

そのイメージで考えているときは、

今立ってる地球とは違う場所に

別の地球の小さい球を想像しなくちゃいけなくなるんだよね。

だからリアルな感覚から離れていくんだよね~、

などと考えてしまいます。

天動説は大地に立って星々を見ている

リアルな感覚とつながります。

ただ、惑星などフラフラと逆行したりで、

あまりにも複雑な動きになります。

この二つを自分でつなぐことが課題だと思っています。

これもなんだか、楕円とつながりがあると思ってしまうのはなぜでしょう?

暖かい優しいまなざしのような光がさしています。

枯れて無機的になったススキの葉に光が反射します。

根源的場所から射してくるような光があたり一面を包みます。

枯れた世界を遠い遠いところから、

生命の泉を注ぎ込むように、働きかけてきます。

一番古い趣味である<日向ぼっこ>への欲求が沸々とわいてきます。

最近は瞑想と呼び変えています。

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