平泉の観自在王院跡の隣に毛越寺(もうつうじ)があります。
門のところに立って門から先を覗くと、
まるで中がスクリーンに映し出されたようで、別世界です。
ジェームス・タレルのオープンスカイを横に見たような感じです。
まるで結界が張られているかのようです。
不思議なので写真を撮ってみます。

門の右側に<案内>と書いた小屋があり、
中に人が一人座っておられます。
小屋の上には案内1000円と書いてあります。
少し迷ったあげく 案内を頼むことにしました。
ガイドを頼むのは生まれて初めてです。
緊張です。
「どちらからですか?」 と聞かれたので
「佐賀からです。」と答えると
「そうですか。」
「鳥栖とか有名ですよね。」と言われました。
「 全く有名じゃないですよ。」
「 サッカーのサガン鳥栖は
ほんの少し知られているかもしれませんが。」 と答えると、
「自分はブリヂストンによく行っていました。」との答え。
仕事がタイヤの中のワイヤーを作る会社だったそうです。
なるほど!
40人ほどの人が当番制でガイドをされているそうです。
「外国の人たちもたくさん来られるかと思うのですが、
英語の通訳の方もいらっしゃるのですか?」 と訊くと、
私は英語の通訳 もしていますとの答え。
アメリカに6年ほど いらっしゃったようです。
「ガイドの方はみんな英語を話されるんですね。」
「すごいですね。」
と言うと、
「私ともう一人ぐらいです。」
とのこと、貴重な人に当たったようです。
いろいろな説明を受けながら境内を周っていきます 。
ここは 藤原氏二代基衡(もとひら)が
たくさんの戦で亡くなった人々を敵味方関係なく弔い、
現世に極楽浄土 の理想郷を表そうとして建てたところだそうです。
今は池のみが当時の様子のままです。

毛越寺の本堂の前まで来ると、
右側に大きな池が広がり、
その前に大きな看板があります。
そこには当時の建物の様子が描かれています。
池を海に見立て、そこを三途の川として、
眼鏡橋が2つ、中之島を挟んで架っています。
右側と手前には道幅は30mほどの広い道路があり、
牛車が通っています。
看板の絵はデッサン力があり、タッチも生き生きとして、
とても素晴らしい絵です。
きっと有名な油絵画家の方が書かれたのでしょう。
ガイドの方に、
「この看板、大切にしてくださいね。」
とお願いしました。
ちなみに、
<どうして30mほどの幅の広い道路が必要だったか>
ですが、
牛はバックができないので、
牛車がUターンするためには30mほどの幅が必要だったそうです。
牛車たちが頑張ってUターンしている姿が浮かんできました。
まるで滑走路の飛行機のようです。
今は建物もなく、池と木がある公園ですが、
伊達藩によってテーマパーク的な整備がなされたようです。
当時もすでにかなり荒廃していたのでしょう。

途中に蓮の花が咲いていました。
藤原氏の棺の中にあったたくさんのハスの種を開花させたものだそうです。

案内の人がいると質問できるので大変便利です。
「そもそも、なぜ藤原氏がこれほどまでに栄えたのでしょうか?」
という質問をしました。
当時京都が30万人の人口だったのに対して、
平泉には10万人の人が住んでいたようです。
なんと、この地域では 砂金が取れて、
中国との貿易も盛んだったようです。
マルコポーロの黄金の国ジパングの記述は、
平泉の事だったかもしれません。
その後、中尊寺へ向かいました。
途中に文化財資料館がありましたが、
立ち寄らずに進みました。
しばらく歩くと中尊寺の入り口に到着しました。
ここは毛越寺とは違い、たくさんの観光客で賑わっています。
駐車場にはたくさんのバスや車が止まっています。
毛越寺の静けさがうそのようです。
ちなみに毛越寺は国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けていますが、
中尊寺は特別史跡の指定だけだそうです。
毛越寺のガイドの方が力説されていました。

800メートルのほどの山道の途中からは北上川や対岸の山が見え、
山には大の字が浮かび上がっています。

中尊寺の本堂に到着し、堂内に上がりました。
そして、ご本尊の大きな仏像を拝みました。
金色堂と相まってか、とても金ぴかです。
輝きすぎて、すこし、プラスチック製のようにも見えます。
後で話を聞くとつい最近作られた新しい仏像のようです。
古くて威厳のある仏像も新品の時はこんな感じなのかと想像してしまいます。
長い年月というのは人間と同じように仏像にも趣を与えるのでしょう。

広い部屋にはいくつかの説明板があり、
中尊寺の歴史を学ぶことができました。
ただ、延暦寺と同じように、日本語のみの案内でした。
中尊寺の参道は学びの道でもありました。
その中の一つは
<いかに道路工事の現場にあるカラコンを素敵に見せるか?>でした。
なんと、竹のすだれのようなものをまいて、
上には竹の棒を載せています。
とても素敵な趣があるものになっています。

右手のお札売り場では24種類の植物を使ったお茶を販売しており、
中尊寺限定とのこと。
通販でも販売しているそうです。
以前は蕎麦も入れていたが、アレルギー対応で外したそうです。
中尊寺由来の霊験あらたかな代々作られてきたお茶と思っていたら、
「50年ほど前、ある僧侶の発案で作られました。」
とのことでした。
伝統的なものはこうやって作られていくのだ、
という実例を見たような気がしました。
奈良県の金峯山寺に登った時の『だらに丸』を思い出しました。
側の売店では「IHヒーターでも鉄が摂取できます」
と書かれた鉄瓶が展示されていました。
「どういう意味ですか?」と尋ねると、
「他社の鉄瓶は錆びないように内側にコーティングしているが、
こちらは酸化皮膜をつけているので、
お湯を沸かした時にその鉄分がお湯の中に入って
鉄イオンの吸収につながるのです。」
とのことでした。

さらに進むと、
右側に竹藪があり、ヤダケがたくさん生えています。
その一本を手元に寄せて観察してみます。
「矢は特別の竹で作ったんだ!」
なるほどです。
金色堂への道は雑学の学びがたくさんあり、
なかなか金色堂にたどり着きません。
松尾芭蕉の銅像ところまで来たときには、
雨もすっかり上がり、お日様の光も射してきました。
松尾芭蕉の像はどこか親しみのある像で、
近所の人によく似ていました。

ふと、耳のところにしずくを見つけました。
お日様の光に煌めいてまるで光のピアスです。
嬉しくなって、写真を撮ってみました。
(残念ながらキラメキは写っていません)
芭蕉が現代にやってきて、
ピアスを付けて旅をしている姿を想像して、
つい、ニンマリとしてしまいました。
2025/09/05 井手芳弘