ずっと風景の中にあって気になっているものがあります。

でもなんとなく過ぎていって、それがなんとなくぼんやりしているものがあります。

例えば、夏至を前後にいつも青い空をバックに山の端に咲いていたねむの木たちです。

昆虫採集に行ったり(子供のころにはまっていてかなりの殺生をしてしまいました)、

じいさんの手伝いに山に行ったときに、そのほわほわの花が、

トゥルルルの葉っぱの間からそのピンク色の顔を覗かせていました。

それから、長い年月が流れ、ある意味今回初めて出会った感じがあります。

場所は時々行くファミリーレストランのすぐそばの歩道の街路樹。

どうしてまたそんなところで?高いところにある花がたまたま低いところにあったので、

時間がなかったけれど、とにかく見てみようと歩み寄ってみました。


ねむの木1

真下から眺めてみると、それは細波の響き合いのようでした。

いろんな木々の葉を見てそう感じることがあります。

それは、海の波の重なり合いのようであり、空の薄いの雲リズムのようでもあります。

このねむの木は特にこのリズム感がよく現れているようで、トゥルルルという響きを連想させます。

考えてみたら、葉っぱというものは木の枝から空に向かって放たれる水しぶきのように思います。

流れあるところ、必ずリズムが生まれます。

わたしたち生きている世界は流れているので、水の波に始まって、

雲の波、音の波、木々の葉、様々なリズムに包まれています。

こういうリズムを見ていると、とてもすがすがしく、元気がでできます。

考えてみると(考えることが多いです)元気というもの自体、リズムかもしれません。

他のリズムを感じることで、自分自身のリズムを強めているのかもしれません。

皆さんも暇があったら(暇なんてないでしょうね)いろんな植物の枝葉のリズムを体験してみてください。

結構いい感じです。


ねむの木2

さて、間近にやってきました。

漠然と花のイメージはあったのですが、近づいてみて、初めてこの花に出会った感じがしました。

針のようなたくさんの花びら。??花びら?突端に小さなチョボチョボが付いています。

おしべ?こんな軽やかな色を持つおしべ?もうなんだか分からなくなってきました。

そういえば、針の周りに小さな白い王冠のような襟が付いています。これが花びらなんでしょうか。

襟に徹している何と控えめな花びらでしょう。

よくよく眺めてみると、とてもあれだけのものが詰まっていそうにない包みの中から、

袋が破れ、赤い閃光が白い柱とともに勢いよく飛び出し、

すっと襟を立てるとさらに高く伸び先のほうでまた四方八方に分かれて破裂しています。

—意識の変容がしばし起こる—

「なんてこった、うかつだった、花火祭りは浜ウドだけじゃないじゃないか。(つれづれの第3回参照)」

「花火には大玉だけじゃなく、しだれ菊(?)もあったんだ。なんと、エレガントな。」

そう、祭りだったんだ。植物たちの親であるお日さまが、一番の高みに上る。

それを植物たちは様々な表現でお日さまにその感謝を表している。

あの空ろに見えていたねむの木が実は、あんなに力強く、

しかも繊細に世界に向かって自分自身の花粉を飛び散らせていたんだ。

また音楽が聞こえてきそうです。

今、世界中のねむの木が空に向かって感謝の祝砲を打ち上げている。

それは風に乗り、光に乗りわたしたちの感情の世界の中に降り注いでくる。

—正気に戻る—

 

つれづれ始まって以来最初の試みです。

次回のテーマのクイズを出します。

さて、この写真はいったい何の写真でしょう。

ヒント、この写真をよく観察すると分かると思います。

それでは、お答えお待ちしています。

正解者に何か出すの?

ごめんなさい。賞賛の気持ちだけです。

 

2004.07.02.

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