福岡では曇っていて31日の月食を見ることが出来なくて残念でした。

前回の新月である、1月17日が旧暦のお正月だと思い、
「もうすぐお正月だな、もうすぐお正月だな。」
と楽しみに待っていたら、なんと2月16日がお正月でした。
お正月を待っていた日々はまだ11月だったわけです。
驚きです。

気分を取り直して、お正月を待つことにします。
寒さが募ってきますが、梅の花が咲き始め、

春の訪れを感じさせています。

佐賀平野はとても広いところです。

主に筑後川から流れ込む土砂が有明海に堆積し、

それが隆起して広い平野
を形作っています。

以前、トルコに行ったときに

エフェソスに行く道中、とても広い平原の中
をバスで走りました。

「なんと広いところだろう。」と思いましたが、

佐賀平野も家並みや田んぼ
を外して考えてみると、結構広いかもしれません。

筑後川は大分の九重山の方から流れ、

天領日田市、久留米市、大川市と

周りに豊かな田園地帯を生み出しています。

それは、単に物質的な意味合いだけでなく、

文化的にも宗教的にも豊かなものが残されています。


その豊かさと裏腹に、

一旦荒れると手が付けられなくなる恐ろしさを持っています。

昨年の豪雨は記憶に新しいところです。

久留米市の高良山にある、

高良大社では八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した

須佐之男命(すさのおのみこと)が祭られ、

この筑後川を治める役目を担っています。

久々に筑後川の堤防を訪れてみました。

道幅が広げられ、そこには大量の木材が積み上げられていました。
中には、大木もあります。

全て、洪水で流れてきたものを積んだものなんだと、

改めてその規模の大きさが思われます。

先日、大川までテーブルと椅子の材料を買うために出かけました。

材木を積み帰る道すがら、クリークの横を通りました。
沈みかけた太陽と深い影を映し、何とも言えない色合いが生まれています。

佐賀平野は至る所にこのようなクリークが見られます。

通り過ぎた後、うっ!とばかり車を停めUターンです。

なかなか、流れを変えてこのUターンが難しいです。

田んぼの脇に車を停めると、往来の激しい道路の端から写真を撮ります。

昔、大学生のころ佐賀平野で初めて撮った写真がなかなか気に入っていて、

引き伸ばして飾っていましたが、似たような雰囲気が漂ってきます。

それから、通り過ぎた次の場所に移動です。
そこでは桐の木がシルエットになりながら、

夕日を受けて微妙に色づいています。

最近、ラインと雰囲気との関係について考えることがあったのですが、

<ラインに対して実の点的な要素はどのように働きかけるのだろうか?>

ということを考えています。

桐の木は不思議なフォルムの力を持っています。
それは装飾的というか、なんというか。

どこの土地でもそうだと思いますが、

この佐賀平野も懐かしさを伴った、ある雰囲気を持っています。

それは、この土地から生まれた小説とも

何となく関わりがあるかのようです。

最近、ヨヘン・ボッケミュールさんが書かれた

景観についての書物の中で
景観の持つ<人格>のようなものについて学びました。

それは、ゲニオス・ロキと呼ばれ、

昔の人たちが感じてきたものだったようです。

佐賀平野は冬がとても似合うところです。

2018.02.02 井手芳弘

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