第11回


夏も過ぎ、台風も三つ過ぎていきました。

我が家の稲も夏まではお日様の光を沢山浴びてとっても良かったのですが

(暑過ぎると害虫が大量発生したり、病気が出やすくなります。

それでも雨続きでジメジメしているよりもいいかな)夏の終わりから雨続き、

一回目の台風で腰を折られ、何とか立ち上がりかけたものの、そこを二回目の台風でノックアウト、

ダウンした所に長雨、とコンバインで助けようにも(収穫のこと)田んぼが雨でぬかるんで入れない、

そのうち地面を枕に夢見心地の稲からは、ほのかに発芽への思いが、てなことでたいへんでした。

やっと三つ目の台風の前に間一髪で終えることができました。

という当人、結局休みのスケジュールが合わず、実は一度も出ていません。

さて、前回のつれづれ遠野編、いかがだった(の)でしょうか。

面白かったのでしょうか。面白くなかったのでしょうか。なんでもいいから、反応・・・くださーい!

さて、このつれづれもオタッキーな内容から(本当はここに留まっていたい)、

講座や合宿の話し、そして旅行記と進んでいきました。

私は、これからいったいどこへ進んでいけばいいのでしょうか。

前々回のつれづれで東京の狛江の講座の紹介をしましたが、

その狛江へ先週の土曜、日曜日に出かけていきました。

いつも、夏と冬に行われていた狛江の講座、合宿を発展させて、

それ以外の日にも子どもたちと講座をしようということで行われました。

また、土曜の午後、および日曜の午前には大人の方たちと、

観察を中心にした講座がおこなわれ、光と影について考えを深めました。

もちろんその影にはこの講座を企画運営されているSさんの並々ならぬ才覚と尽力があってのことですが

(講座の後疲れからか具合を悪くされていました。お疲れさまでした)。

その今回の講座でうれしいことがありました。

思いがけず、子どもたちから絵や手紙をいただいたのです。

その手紙の文章を読んだり、絵を見たりすると、

その子が一人の人間としてすっくと立って私に応対してくれようとしていることをひしひしと感じるのです。

これって不思議な感覚ですよね。

私の前に立っているその子たちの姿かたちは小さいのですが、

私に対面しているその子に中に、すでに青年の意識を感じるのです。

その姿にただ手を合わせたくなる感じになります。

そして、自分自身がそれに見合うだけの存在になりたいと思います。

その子の気高さからすると、私など到底足元にも及ばない気がするのです。

でも、私自身が普段それだけの人間ではないとしても、

その子たちに見合うように自分自身を高め、

その高まった状態で応対したとしても何も問題ないですよね。

考えてみれば不思議なことです。

私自身は子どものころから人と交わるのが余り得意な方ではありませんでした。

どちらかというと、一人遊びが好きなほうで、

みんなが仲良くやっているのを見るとうらやましく思っていました。

今でも、どちらかというと、人といるよりは一人でボーっとしたいほうです。

そんな私が、どういうわけか特に人と関わるような仕事をするに至り、

こうして文章まで書いて皆さんに自分自身をさらすようなことまでしています。

いつこのような性格が身に付いたのか分かりませんが、

たぶん自分自身でこの性格を克服しようとしているのでしょう。

ああ克服しなければならないことは沢山あるなあ。

整理整頓、忘れ物、計画性を持つこと、これもみんなに迷惑をかけながら克服していこうとしています。

でも皆さんも多かれ少なかれそんな面を持たれているのかもしれませんね。

夏も終わり、このラウムで恒例の福岡シュタイナー教室の夏休み手作り講座を行いました。

福岡シュタイナー教室では恒例なのですが、

ラウムを使うのはもちろん初めてです(今年の1月からしか存在しないので)。

外はまだ残暑が厳しい中、エアコンを聞かせ快適な中

(ラウムの宣伝)親子で蔓でかごを編みました。

夏休み前の教室の時間に親子で山に蔓を取りに行って、その蔓を夏休みの間乾かして保管し、

また水につけて柔らかくしたものを使って親子で編んでいきました。

蔓取りをしたときには山ほど取れて、教室にも山のように広がりました。

こんなに沢山はいらないだろうとたかをくくっていましたが、

気がつくと籠一つ作るので材料が終わりになってしまい、

後のランプシェードを作る分がなくなってしまいました。

この福岡シュタイナー教室は水絵の会、みずすまし、みずたまり、みずいろ

という教室から成り立っていますが、最初は水絵の会から始まりました。

10年以上前に公民館を借りて始めたのが最初でした。

ドイツから帰り、何をしようかと考えていた矢先、申し出があり、始めた教室です。

週一回という限られた条件の中、子どもたちに何ができるか、

というまったく手探りの中で始めました。

このほかに今はなくなりましたがアトリエ・シュタイナーという教室もありました。

思えば、私自身、この教室のおかげで育てられたところが沢山あります。

これらの教室のことはまた機会を見て書くことにしたいと思います。

そうこうしているうちに、空気が光に追いついてすべて秋に包まれはじめました。

あーあ早く仕事終えて、秋の光を浴びにいきたいな。

2004.10.01.

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