第12回 秋の日の水日溜りにて
今回またオタク化します。
幼児教育の本の翻訳が終わらず、ほかの仕事と重なって、重くのしかかっていること。
季節がたまらなく秋になって、どうも現実から逃避したい傾向にあるのか、
「よっこいしょ。」と力を入れて文章を書く精神力と時間がなくなってしまって、
そこで行き着く所はやはりこんな所です。
なんか、個人的なこと書くつもりはないのですが、
ついつい状況の説明のために、個人的になってしまうのは仕方のないことでしょうか。
つれづれなので、なんでもつれづれに書いていこうとしていたのですが、
気がついたらやはり読み手を意識してしまって、前回は反応まで要求してしまっていました。
たぶん頑張り過ぎたのかもしれません。
掲示板を少しでもにぎわせてくれたら、という想いもあったのですが、
たくさんのありがたい感想のメールをいただき、とてもうれしく思いました。
それと同時に、読んでいただいている、と言う責任感を新たにしたような所がありました。
で、皆さんの期待を裏切るしかないという想いで書かざるをえないようです。
ごめんなさい。好き勝手に走ります。
私はこんなものが大好きでたまりません。
ある種の深い懐かしさを感じつつ、その中へ引き込まれていきそうです。
ずっと見続けても飽きません。
本来私は怠け者です。
仕事なんかしたくはなく、ボーッとしておきたいタイプなのです。
ちなみに私の高校、大学時代の趣味は日向ぼっこでした。
ある日突然に、その暗さに嫌気が差して、その趣味と決別し、
人々の世界へと飛び込んでいったわけではありますが。
どうして、こんなに忙しくなったのか分かりません。
(本当は自分のせいだとわかっています。)
今でも、よく言われます。「井手先生みたいにのんびりと生きていけたらいいですね。」
たぶん、私の性格上の問題なのでしょうね。
でも、のんびり暮らしている、と思われているほうがいいようにも思います。
とりあえず、こうやって日中写真が撮れるからいいかもしれません。
ある天気のいい、看板の写真が裏返しにはってある海辺のことです。
ほんの少しの時間車を止めると、カメラをぶら下げて砂浜に降りていきました。
海の水が引き水にぬれた砂浜が続く所は、
空からの光の反射が銀色の月の光のようにシャリシャリとした所と、
ミズがたまってトップントップンしたところができ、
疲れてエネルギーがなくなった心を癒すには最高です。
と、ここまでは今までのことだったのですが、
今回、ちょっと違ったことをしてみました。
さまざまな学びの中で、
日中のこの空には彩雲(虹色に色づいた薄い雲が出ていることを知っていました。
彩雲の写真は三回ほど前のつれづれに載せていますので、
良かったら見ていただきたいのですが、彩雲はだいたい朝か夕方によく見られます。
でも、実際は日中の時間帯でも出ています。
日中は太陽の光があまりに強すぎるので、彩雲が出ていてもまぶしすぎて、
その色合いが見えません。
建物の陰に隠れたりして太陽を隠すことで、何とか見えることもありますが、
簡単に見るためには、サングラスやカーポートの
茶色の屋根越しに眺めるとまぶしさがとれ、色合いが見えてきます。
この日も、見えないけれど、空に彩雲が出ているのを私は知っていました。
そう、もう一つあります、彩雲を見る方法が。
それは水面に映ったものを眺めることです。
特に静かなみずたまりなどに映すとなんともいえない色合いが現れてきます。
考えてみれば、奥深いことです。
間接的に見ることでその色合いが明らかになると言うことは。
それって、ご神体を拝めない宗教的な傾向とどこか似ているようにも思えます。
この日は<太陽の反射を眺める>という趣味と、
<彩雲を映す>ことをドッキングさせてみました。
そうすると、結果として、このような、
なんともいえない極彩色の現実離れした現象が現れてきました。
「うん、最高!」もう疲れを癒すなどそっちのけ、
仕事も時間もしばし蚊帳の外、あの流れ、この流れ、と次から次に渡り歩くことになりました。
<そうなかなか長くは続かない、こんな場所で落ち込み続けることは。>
さあ、また力を蓄えて、日々の課題にとり組むとするか。
2004.10.15.