第13回 思い違いと秋の影

秋になるとやっぱり思いは影に向かいます。

私がひきつけられていたのは、

一方で陽だまりやお日様の反射(つれづれ12参照)なのだったのですが、

もう一方では深い影、中がボーっと輝く影に深く心を奪われていました。

 

考えてみたら、陽だまりも、周りを影で深く覆われていくから

最後にくっきりその場所が意識されていくわけで、

結局、両方とも同じ質のものかもしれない、と思います。

 

世界は、私の意識は、光と影と言う両極端へ昇華していくのでしょうか。

時々思うことがあります。

ドイツでシュタイナー教育やR.シュタイナー的な世界の捉え方を学ぶことができてよかったなと

(時々ではなく、いろんな意味で大変お世話になっています)。

その中の一つが影に対する理解です。

授業で学んだわけではないのですが、そこで出合った本の中にたくさんのヒントがありました。

闇や影に対する考え方を学んだおかげで、

自分なりに進めていくことができました。

 

以前は理解や知識を増やしていくことで、

純粋でなくなって、感性が阻害されると考えていましたが、

知識や理解にもさまざまな種類があり、

偏見を与えたり、外に対して開かせなくするものもあれば、

新たなことを次々に発見するヒントになるようなものもあることに気がつきました。

 

たぶん、後者の知識をドイツでいただいたことで、

それまで自分が無意識的に気になっていたことに光を当てることができるようになりました。

そのおかげでいろんな所を歩いていても退屈することがなくなりました。

 

そして、より影や光が自分にとって身近なものになってきています。

いやむしろ、心穏やかではなくなりました。

とにかく、影が、光が気になって仕方がないのです。

落ち着いて考え事ができなくなったりします。

 

また、落ち込んで眺めていても、

いつの間にか意識が影のほうに向かっていってしまって、

気がついたらまったく違うことを考えていることが多々あります。

いつも、今日は何にも写真を撮るようなことはないだろう、

と写真機(?カメラ)を置いていった挙句、

面白いものに出くわして急いで取りに戻ることが再三です。

最初の写真はそんな中の一つ、松の木の下にある敷石の写真を撮ってみました。

まあ何の変哲もない写真と言えば言えるかもしれません。

その中にさまざまなことが隠されていることはさておいて、

皆さんこれを見て何を感じますか、何を連想しますか。

 

私は、これを見たときに「ああ微妙に青い色の付いた光が降り注いでいるな。」と感じました。

たぶん、上のほうに色つきの屋根かひさしがあるのか、

青い色が薄く塗られた金属か何かに反射した光が射しているのだろう、と判断しました。

「このように私はよく気がつくのだ、ムフフ。」とひとりで悦に入りながら。

そして、上を見上げました。

でもそこには松の木と公衆トイレの屋根以外に何も青い光を投げかけるものがないのです。

そして、白々としてしまいました。

不思議に思ってまた敷石を眺めてみるとそこには、

なんともいえない青い光が射しているのです。

私は立ち尽くしてしまいました。???

なぜだろう、なぜ、なぜ、たしか、それまでは何か考え事をしていたと思うのですが、

そんなことは何だったのか、すっかり忘れてしまいました。

 

しばらく、敷石の光を眺めた挙句、やっと気がつきました。

まったく同じ種類、模様の御影石で出来ているのに、

青い石とやや褐色が勝った石があるのに。

実は、問題は光にあったのではなく敷石にあったのです。

敷石の色に違いがない、と言う判断をしてしまったが為に、

違いのないはずの光に違いがあるように見えてしまったのです。

青い敷石と褐色の敷石に違った特徴があればそんな風には思い違いはしなかったでしょう。

では、なぜ同じ石なのに色の違いがあるのか???

新たな疑問の始まりです。・・・またそこでしばらく立ち尽くす・・・

 

そう、それは公衆トイレの屋根にあったのです。

実は、屋根が銅板で葺かれていてそこから流れ落ちた銅を含んだ水が

敷石の上に流れる落ちる場所がうっすらと銅イオンの色(青)が付いたのでした。

まさかそんなことは考えないから・・・現実はやはり小説より奇なのでしょうか。

きっと、それほど、(いやまったく)たいしたことでもないんですよね。

 

その他の影の話。

それは、円がどこから見ても楕円であろうか、と言うことを知りたくて、

世界で二番目に大きなゴンドラの写真を撮りに行ったときのことでした。

こんなに大きなものでも歪まずにきちんとした楕円として写るのか、

とカメラを構えたのは良かったのですが、

あまりに被写体が大きくカメラに入りきれませんでした。

その時に、地上を動いていく不思議な影の存在に気がつきました。

その影は駐車場のアスファルトの上をスーッと動いては、

また次の影がスーッとやってくるのです。

それは、自分自身が無意識の何かに吸い込まれてしまいそうな

不思議な感覚に襲われました。

よくよく探してみると(いや実はすぐにピンと)、

それが、世界第二のゴンドラの影であることがわかりました。

物体が離れれば離れるだけ影はぼやけてくるということは知っていたのですが、

まさか、こんな影を見ようとは思いもしませんでした。

第二の<現実は小説よりも奇なり>です。

その影がある車のそばに忍び寄ると、その中に、今まで存在しなかった明かりを映し出します。

ああ、やっぱりこんなことばかりはしていられない。

 

2004.11.05.

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