第14回 おまつり

これは、10月30日、31日に初めてラウムで行った、福岡シュタイナー教室の展示会の様子です。

皆さんの広報の甲斐があって、予想以上の人々が訪れてくれました。

 

お母さん方のバザーも盛況で、ほとんどのものが30日に売切れてしまいました。

また、各手作りコーナーでは、和紙染めカード作り、トランスパレントスター作り、

ローズウィンドウ作り、フェルト作り、と盛り沢山の内容でした。

当の本人は、店番をする人間がいなかったために、

ほとんど店に張り付いていて、ほとんど手伝いが出来ませんでした。

 

30日の夕方、辺りが暗くなりかけた6時ごろ、みんなが作ったランタンに火を灯し、行列しました。

 

このラウムは静かな住宅地(団地のそば)にあり、

すぐ近くには室見川が控えているとても環境の良いところです。

その室見川では毎年春になると白魚漁があり、

取れたての生きた白魚を食べさせてくれる臨時の小屋が建ちます。

40人近くの子どもたち+同じ数ぐらいの大人たちは手に手にランタンを持って長い行列になり、

その葉が色づいた団地の桜並木を抜け、室見川へと歩いていきました。

そこでわたしから簡単なお話をした後、また来たところへ、でも折り返すのではなく、

川沿いを歩いてまたもとのラウムの場所に戻っていきました。

子どもたちは、思い思いに話しをしながら。

今考えると、何か目標があったらよかったな、と思いました。

 

BBSの会話の中でもお話しがありましたが、

ちょうどこのころドイツのほうでも聖マルティン祭が行われ、

子どもたちがランタンを持って行列をしたということでした。

あたりに暗闇がやってくるころ、自分たちの中に明かりをともして、

その明かりを守りながら歩いていくという行為は、

今の子どもたちにとってとてもよい体験になるのではないかと思います。

 

概して、今の子どもも大人も、

自分の中に熱を込めることがとても難しい世の中になっていると思います。

これまで、つたないながら、子どもたちとそういうテーマを持った劇をやったりする事で

その体験をしてもらいたいと考えていました。

子どもたちに何か大切なことを体験させ、分かってもらうためには、

教え込むことではなく、そのことを行動させたり、表現させたりするしかないのだ、

ということにいつのころか気づき始めました。

そういう意味では、季節のかかわりの中で行われるお祭りがとても大きな意味を持つように思います。

 

シュタイナー幼稚園の課題のひとつに、

原初的な宗教体験を再び息づかせ、それを体験させていくこと、とあったように思います。

そのためには、今存在している各お祭りの根源的な意味を

もう一度よく考えることではないかと思います。

そうすることで始めて、新たな意識で子どもたちに必要な

深い体験に導くお祭りが可能になってくるように思います。

そういう見方で見ると、シュタイナー幼稚園などで行われている各行事は

とても、よく考えられて、芸術性に貫かれていると感心することが多いです。

芸術性に貫かれているということは、

<全体が自然な姿で繋がっていて、わざとらしさがないということでもある>

と私は考えています。

 

私が苦手なのは、妙な、浮いた子どもじみた、幼稚な言葉やしぐさです。

子どものころから、この手のことが苦手だったのかもしれませんが

(幼児番組でみんながお兄さんと一緒に体操をしているときに、

必ず、何もせずにボーッと立っているだけの子どもが2、3人はいますが、

その手の子どもだったように思います。)

今でも、全くなじめません。

それでは、幼児の子どもたちとうまくいかないのではないか、とお思いでしょうが、

子どもたちは大人が考えるほど幼稚ではなく、はるかに高い感性を持っているように感じます。

 

それは、今からやってくるクリスマス前に行うアドベントスパイラル

(私たちのところではりんごロウソクと呼んでいる)の行事のときにいつも体験させられることです。

この行事は、もともとドイツで一度体験したシュタイナー幼稚園の行事を、

日本の子どもたちにも体験してもらおうと始めたものです。

部屋の中央に木の切り株を置き、その上にローソクを立て、

その切り株が渦の中心になるように、針葉樹の木の葉で渦の道を作り、

その途中に紙で作った円盤を子どもの人数分だけ敷き、

子どもたちは手に手に穴の開けられたりんごにローソクを立て、

渦の中心の明かりをそのローソクにつけては自分の場所においていく、

というだけのとても単純な行事です。

しかし、この行事の最中子どもたちはとても真剣に取り組み、

親からの押さえつけがなくても、その場を壊す子どもはいません。

 

共生されない、場の力のすごさをいつも感じさせられます。

たぶん、この行事がとても理にかなった深いものであるからなのでしょう。

私の役目、必要なことは、そういう場を少しでも作っていくことかな、と思います。

 

そう、考えてみるととても子どもの行動は不思議です。

人形を座らせて、ままごとをやっている姿などを見ると、

一つの宗教的な儀式のように感じてしまいます。

 

 

あ、皆さん言い忘れていました。

今度の21日の私の講演会の参加者が少ないようで、とても残念です。

現代人としての意識と科学的知識を持った(と思っている)私たちが、

どのように子どもたちを理解し、

自分を欺くことなく子どもに分かるようにかかわっていけばよいか、

ということについてお話をしたいと思います。

もう、こういう話をする機会はこちらでは持たないと思います。

皆さんのご参加をお待ちしています。

また、素敵な手作りも用意していますので、子

どもたちへのもう一つのクリスマスプレゼントにいかがでしょうか。

 

2004.11.19.

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