第26回 撮影したいもの
愛用のデジカメが壊れてしまいました。
今修理に出しています。
写真を取ることができません。
そうしている間にもすばらしいものが私の前を通り過ぎていきます。
今日なども、来るときの空には、
今までに見たこともないようなリズムを持った雲の筋が出来ていたし、
波打ち際の水は、太陽の光を集めてまばゆいばかりの光の網の波を底に映すし、
挙句の果てには冠天頂アークが夕方の空に出てくるわ、で、あーあーの連続です。
大体において、カメラを持たないと分かると
これでもか、って見せ付けてくるから始末におえません。
仕方がないので、私が追い求めている(た)もっぱらのテーマを
皆さんにお見せしたいと思います。
追い求めているものの一つ、それは菜の花の気絶です。
菜の花は、ドイツでゲーテ的な植物学と出会ってから特に印象の強い花です。
新たな見方を与えてもらってから、考えてみれば見るほど不思議になってしまいました。
だって全体を一つの花として見るみかたをすると、
花の真ん中がどんどん延びていく不思議な花に見え始めたのです。
それから、菜の花を見るたびに花が伸びていく、
ああ緑色の煙と魚の骨を残しながら光のロケットが立ち上がっていく、と・・・
その様を追い求めて、いったい菜の花は何処に向かって伸びていっているのか。
そう、あれは、いつのことだったのか。
祭りが終わった菜の花が立っていたのは。
全てが天に向かっていってしまった跡に残されたものたち。
その写真を追い求めているのですが、残念ながらぴったりとするものには二度と出会えていません。
二つ目に追い求めているものは、そう曇りの日の輝きです。
新芽の芽吹く頃、山肌はある色合いに満たされます。
残念ながらまだ何の木か特定できていないのですが(今年にわかに意識しているので)
この頃、新芽がまばゆく輝きます。
輝いていると思っていたのに、よくよく見るとあたりは曇り。
この光は一体何処から降り注いでいるのか、と空を眺めてみます。
ところが、空を眺めてみても何処にもその光が射してきていません。
実は、その木自体が、若葉(花も)と前の年の葉との
とても強い濃淡のコントラストからあたかも空から光が降り注いでくるように見えたのでした。
それから、光が降り注いでいるように見える木を探すようになりました。
曇りでこれだから、晴れた日にこれを見たとしたら、
太陽からの光と木々が生み出す光でさぞかしその木は光り輝いていることだろう、
と想像するばかりです。
これって、いわゆる覚醒現象のようなものなのでしょうか。
あるいは、超現実的な風景なのかな。
とにかく、超現実的に強い光の表現で五月の山は満たされていたのだな、とつくづく思い返すのでした。
また、来年の今頃に撮ることにしようか。
時々気になるものに出くわします。
何の変哲もないのかもしれませんが、
がけから倒れかけている竹です。これがどうしたって?
車で通り過ぎて、なんだか分からず、余りに美しかったので歩いて戻ってきて写真を
撮ってしまいました。
・・・美しいから取ったんだけど・・・
なんだか、単なる写真コーナーに成り下がっているかな。
2005.05.20.