第32回 影送り

 

 

まだまだ暑い日が続きますね、

巻頭言のほうに、なんだかつれづれのような文章を書いてしまいまして。

その続きを書くような、なんとも境目がない文章になりかけています。

 

前回飛行機からの話を少し書きました。

今回も続けたいと思います。

なぜって、あまりに飛ぶ回数が多かったからです。

本来、成層圏を汚すことに少々の引け目を感じている私は、

せめて、この現代人の意識の目をもたらしてくれる飛行機からの眺めを、

少しでも多く、深く体験しなければ、という使命感にも似たような気持ちで挑んでいます。

そもそも、人間が本来体験しない場所から、

言い換えれば現実から離れた場所から世界を眺めるという体験は現代文明のなせる業だと考えています。

 

考えてみれば、飛行機を飛ばすということ自体、私たちの知性の粋を集めた行為ではあります。

張り詰めた知性によって私たちは空を飛んでいるわけです。

また、地上1万メートルという高さから地上や周りの空を眺めることになるのですが、

その世界は気温マイナス40度、気圧も低く、とても立っていられる場所ではありません。

そして、当たり前のことですが、いつも晴れています。

その紫外線たるや直接見るとすぐに目を傷めてしまうほどのものでしょう。

要するに、とてもすばらしい光景が常に見られるのですが、

その場所に長くはいられない不自然な場所でもあります。

そのことを考えるたびに、ああ、現代人の持つ知性といわれるものによく似ているな、と思います。

とてもクリヤーで、物事を客観的に冷静に判断できるけれども、

それだけを長くもち続けることは、自分自身の生命力を弱らせていく、そんなものにダブります。

でも、現代人の特権である、<違った体験>をほんの少しの間楽しむのもいいかな、と思います。

 

今までと全く違ったものが体験できるという感覚は、飛行機が飛び立つときに現れています。

太陽を背にした窓から眺めていると、滑走路を走ったあとで、ふわっと飛び上がります。

そのときに飛行機の影が滑走路に見え始め、私たちが飛ぶのと同じ速さで地上を駆けていきます。

その影は、飛行機が高く上がり始めると、次第に小さくなり、

ぼやけながら、家々の屋根を駆けていく様は結構感動物です。

そして、思うのです。

「私の影よ。地上に居るときにはついぞ離れることのなかった影よ。

しばしの別れだ。私はお前と離れて違う体験をしてくる。」

 

 

その影は、時として不思議なものを生み出します。

地上に置き忘れてきて意識に上らせない影を空の高みから探し出したときです。

その影は下に雲があるときに再び、でもほとんど目立たない形で現れます。

なんと、置き忘れたはずの影のその周りが虹のように色づいています。

それは、なんとも感動的な、心を躍らせる体験です。

反対の窓側に太陽があるときにはいつもこの影を探します。

雲の間をゆっくりと移動しながら付いて来ている様は

なんとも表現しがたい体験をもたらしてくれます。

 

それは、沖縄行きの飛行機に乗ったときのことでした。

私はいつものように、窓からこの虹付きの影を探していました。

そして、それを見つけると、いつものようにめでて楽しんでいました。

飛行機が空港に近づいてきて、降下を始めたときでした。

雲に近づくと飛行機の影は大きくなりますが、

この虹の大きさは変わらないので、飛行機の影に対して虹の大きさは小さくなります。

「フムフムなるほど、全てはお見通しだわい。」と余裕をかまして眺めていたときです。

ふと・・・機体の中心じゃなく、どうしてこの場所に虹が?・・・と思ってしまったのです。

それがいけなかったのです。

<そう、それは私の座っている座席を中心にできた虹の輪だったのです。>

エー?マジで?

わたしが、ずっと楽しんできた飛行機の周りの虹は、私が生み出していたものでした。

「うかつだった、こんなことに気がついていなかったなんて。」

頭の後ろから思いっきり殴られたような衝撃を感じました。

飛行機の影をこんなにも美しく輝かせていた虹を作っていたのは自分自身だったんだ・・・

そう思ったとたん、ふっと熱いものがこみ上げてきてしまいました。

なんだか、書こうと思った方向と全く違ったほうにはまり込んでしまいました。

また、再挑戦しよーっと。

 

2005.08.15.

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