第45回 ドイツ語

ドイツ語を話すようになって、気軽に英語で相手のことをyouと言えなくなってしまいました。

ドイツ語に相手を表すのに二つの表現があり、他人などの距離のある相手と話すときはSie、

親しい相手に使うときはDuを使います。自分自身はいつもichです。

日本語のように相手を表す言葉がたくさんあり、

自分を表す言葉がたくさんある国の人間には想像できないことです。

この二つの表現にはこれはとてもはっきりとした区別と天と地との隔たりがあり、

気分によってあるときはSie、あるときはDuというわけにはいきません。

ただし、若者たちの間では、すぐにDuで話し始めることが多く、子供たちと話すときもDuを使います。

英語のyouがドイツ語のDu に似ているために、

目上の人などに話しかけるときに相手にDuと親しげに呼びかけているような気分になるのです。

あらためて、どんな相手にでもyouと呼びかける英語の勇気と大胆さにおそれおののいてしまいます。

 

今回のドイツ旅行で、二人の人とSieの関係からDuの関係に移りました(妙な感じ?)。

一人はザーレムライアの製作者ニーダー氏でもう一人は福岡に来られた画家のヴィンター氏です。

いつも、Herr Nieder(ニーダーさん)と呼んでいたのが、

Horst(ホルスト)とファーストネームで呼ぶようになり、

彼は私のことをヨシ(本当はヨシヒロですが、

ドイツ語でヨゼフのことを短めてヨシと呼ぶそうなので

いつも自分のことをヨシと呼んでもらうようにしています。)と呼ぶようになります。

文法もまったく違ってきますが、それ以上に、こちらの相手に対する距離感もまったく違ったものになります。

ヴィンター氏はアレキサンダーと呼ぶ関係になります。

とても自慢しているように聞こえるかもしれませんが(聞こえないかな)、

わたしにとっては結構大変なことでもあります。

「井手さん、ちょっと相談があるんだけど。」ニーダー氏の奥さんが改まって切り出されました。

「わたしたち親しくなったと思うんですよ、ホルストと話したんだけど、

もうお互いをDuで呼び合ったほうが簡単で、いいじゃないかって。」

「どう思われます?」「もちろん。」と答えると、

急に打ち解けたように「わたしエスタ。」と微笑みながら握手を求められ、

わたしは「ぼくヨシ。」と微笑み返し、

今度はニーダー氏は「ぼくはホルスト。」といって握手を求めてこられました「ぼくヨシ。」と答えました。

この距離の縮まり方はとても嬉しく、光栄なことである反面、わたしにはドギマギすることもあります。

白状しますが、私自身は初対面とても遠慮会釈なく見えていながら(よく言われます)、

田舎育ちと生まれつきの性格のため、相手との距離感を縮めることにとても遠慮する人間なのです。

それで、ドイツから講座などで来られたボッケミュール先生などと通訳として親しく関っても、

他の人が簡単にDuで話し始めているのを尻目に

(うらやましさを感じながら…うっ、子供のころのトラウマが…)

自分の方から「Duで話そうじゃない。」と言えない自分がいます。

それでDuで話すことは、わたしにはとても勇気のいることです。

長いSieの付き合いがあったニーダー氏には、

Duに移行した後もついついSieで呼びかけている自分がいて、

ホルストと呼びかけることのなんとも言えない気恥ずかしさが漂いました。

ニーダー氏も時々わたしにSieで呼びかけては、「ああ」と言ってDuに変えられていました。

工房の弟子の職人にはとても親しいのに距離を保つのにSieで話されているようで、

この関係のとり方はとても微妙なものだと思います。

Sieで話すときは、立てられ過ぎているようで、自分をしっかり立てなくちゃいけないし、

Duで話すときは余りの関係性の近さに自分の距離感とどのように戦ったらいいか、

という自分が持ち続けて、育てられてきたものをどう克服するか、

という課題に立ち向かっている気がします。

なんだか、自分のトラウマが引っかかっちゃって、なんだか思わぬ方向に話が展開していきました。

ドイツ体験記はこれで終わりにしようと思ったのですが、もう一度書かなくちゃいけなくなりました。

 

2006.03.03.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です