第51回 青い風と白い蝶

 

月日は気がつかないうちに流れていきます。

それは、植物の変化、光の変化などに突然気づかさせられます。

それは、流れていく雲をじっと眺めていてもその形の変化に気づかないのに、

ふと目をそらしているといつの間にか変わっているのに似ています。

それは、時計の分針が眺め続けていてもその動きがわからないのに、

目をそらすと動いているのに似ています。

坊さんがはらかいた(と私たちは呼んでいた。

鬼が木に顔を伏せ<坊さんがはらかいた>と唱える間に、

みんなが動き、鬼がくるっと振り向いたときには止まり、

隙を見て木に(鬼に?)タッチして逃げる遊び。)にも似ています。

…雲も、周りの植物たちも、急に振り向いたりすると、トトトッとつんのめったりして…とにかく、

普段の生活では、なるべく急に振り向いたり、急に動きを変えたりしないようにしています。

事故の元ですから。

光り輝いていた木々の葉は、いつしかその輝きを弱めています。

それは、あたかもあたりを取り巻き始めた青い霧の帳にその熱を冷まさせられているかのようです。

この梅雨前線の頭に載った青いオーラのような空気の洗礼を受け、

梅雨が始まり、そして光の白い粒が霧のように輝きながら辺りを覆う夏がやってきます。

それと共に私の意識も心なしか曖昧さと遠い昔の追憶の香りの中にぼやけて眠り込んでしまいそうです。

この季節になると目に付き始めるのが白い花たちです。

特に浜辺の浜ウド、それから山の中に咲く野ゼリです。

 

 

浜ウドは、海から立ち上がる入道雲のごとく、

一節ごとにその力のたまったこぶしを空に打ち上げていきます。

パーン、パーンという音が聞こえてきそうです。

それは、以前紹介した浜ウド消防隊の出初め式(つれづれNo.3)

<ああ、彼らはこの中に待機しているのであろう、夏の入道雲たちも…>

 

 

野ゼリは、また違ってなんとも優雅です。

野ゼリは風がよく似合います。

かすかに身を揺らしながら、次にやってくる風の言葉を待っています。

じっと眺めていると風が語りかけているのか、野ゼリが語りかけてくるのかわからなくなってきます。

ふと…一瞬の沈黙がやってきます。

周りのすべてがそ知らぬ顔をしながら聞き耳を立てます。

また、何事もなかったかのように語りかけが始まります。

そのささやきの中に遠い昔の懐かしさを感じるのはなぜなんだろうか。と聞きながら思います。

自分の心も、このように風を通して揺れていけるようになりたいなと思います。

花を思い出すときにその周りの光りや風や空気や風景や雰囲気を思い出していくから不思議です。

ちょっと目覚めて花に近寄ってみます。

そこには、羽を広げたモンシロチョウがたくさん止まっているような白い花が集まっています。

それも、それぞれに中心を持った花たちのグループが

グループとして中心を持ちながら全体を構成しています。

これほどに完璧なものが一つの花の中に表されています。

小さな花の一つ一つをよく見るとそれぞれ大きさや形が違うのが見えてきます。

中心よりも周りの花が大きくなっています。

また、花びらを眺めていくと、一つの花の中の花びらの形がそれぞれ違うことに気がつきます。

それぞれのグループの花の外側に位置する花は大きく、その中でも外側の花びらは特に大きくなっています。

あたかも自分の場所を知って羽を大きく広げているかのようです。

どうしてそれぞれの花たちは自分の位置を知るのか不思議でなりません。

ただ、それぞれに、それぞれの存在場所があり、

取り替えることはできないのは、いつもながらなんとも嬉しい気がします。

ゲーテの言葉<すべてのものは似ている、しかしどれをとっても同じものはない>

Alle sind aehnlich,und Keiner vergleicht dem andren.

…うーん、やっぱりそのときに発見したことでないと説教くさくなるからいやだな。

そのときに発見したかように書くと自分を欺くし…

 

2006.06.02.

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