第52回 日々の楽しみ

田んぼの水を眺めること、一年に一度田んぼが湖に変わる日、それも浅い浅い湖に。

その楽しみは、仕事と結びついているから逃すこともない。

浅い湖は、深い湖と同じようにお日様を映し出すけれど、

浅い浅い湖は、吹いてくるかすかな風にそのひだを微細に波立たせ、

得もいえぬ微細な縞は、周りの景色を細かく刻み、叩きにして心が消化しやすい食べ物にしてくれる。

「へーい お待ち!<山と景色のたたき>一丁上がり!!」

「うーん!この味は炭酸の微細な泡がのど越しのあたりで、

ピチピチとはじけるようなピリッと甘辛い感触を残し、

胸あたりでいったんつかえ、少しずつ溶けていく感じですね。」

「甘さも辛さも薄く幕をかぶったような控えめなところがいいですね。」

「何が入っているんですか?」

「お客さんが聞くから、教えたげるよ。特別なものは何も入れちゃいない。

ただ、まず身を薄く削ぐことだね。

それから、かすかな風をかけること、濃すぎても、薄すぎてもいけないよ、

それから手早くたたいて薬味と混ぜること。」

「みんな身は厚いほうがいいと思って厚く切りすぎるのねぇ。これ間違い。

薄くて新鮮これ一番。それと風ね。これ、忘れちゃいけない。

おっと、ついついしゃべりすぎちゃった。仕事 仕事。」

神楽のときの冬の満月の風景で感じた夏の昼間の太陽の情景を、

今の昼の太陽で感じること(つれづれ41参照)。

今の満月の光の下で、冬の一日の太陽に照らされた世界を体験すること。

後者はやはり街灯のないところに行かないと体験しづらいので、今は少し難しいかな。

それにしても、冬の夜の月の体験は不思議な体験だったなあ。

夏の昼間の日差しなのに、現実味がなく、遠い過去の思い出の風景の中にさまよい込んだような・・・

そう、あの時は、過去の夏の日の中を走っていたのだろうか?

途中にキツネのお宿の電灯もついていたし・・

冬の満月の月差

象徴としての満月の光が強く降り注ぐ下で、木々は葉を落とし、身を透かして結晶化していく。

昼間の光や色合いに対する興味をなくし、モノトーンの静まりの中で眺めるのは月と星だけ。

木々にとって夜がリアルな世界で、昼は夢の中の世界のよう。

 

白い輝きに包まれてくらくらとめまいとともに気絶しそうになること。

遠くの山も空も白いもやの中に沈み、辺りが白い帳に包まれた中で、

その白全体を輝かせる梅雨の合間の昼の日差しは無影灯のように

すべてから影を取り去り、存在をあいまいにし、吹いてくる白い風の中に溶かし込む。

こんなときに一緒に自分の意識をその中に入浴させいない手はない。

しばし浸かって、自分の心を解きほぐす。

・・・天使ばっかりに包まれた時ってこんな感じかな・・・

おまけに風が吹いてきたりしたらその白がさらに揺らされて効果倍増、

ゆれる揺れる世界が揺れる(地面は揺れないけど)、

天使の服も、天女の羽衣も、香具山の白妙も、晒しの木綿も、

モンシロチョウも、白い花たちも、雲も、木々の白い反射も白い花も。

一緒に自分の意識もゆーらゆら。

こんなときは一緒にゆーらゆらとそぞろ歩くのが最高。

書いてる文章もゆーらゆらになってしまった。

意識が遠くに行ってしまう。

ただでさえ遠くにある意識が・・・

 

2006.06.16.

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