第53回 夏の祭り

 

相変わらずの日々が続いています。

—続いているならいいさ—

なかなか仕事がはかどらないのは今に始まったわけじゃない。

ずっと、ずっと付き合い続けてきた感じ。

ぜんぜん成長していない感じがずるのが、なんとも心もとないけれど。

なるべくあせらないようにしよう。

 

時は、七夕、意識は満天の星空に向かうはず。

そうすべてのものが空に向かって駆け上がっていっている。

しかし、星空は開いてはくれない。

そうだよね。

七夕ってもともと今の時期に祝っていたんじゃなかっただろうし、

旧暦の7月7日だとしたら後一月後の夏の暑いときかもしれない。

夕方日が沈みかけたころに真上に半月の月がきっぱりと輝き、

夜と昼の境を私たちに見せてくれる。

真夜中に月が沈み、星の輝きだけが空を覆ったときに

祭りは最高潮、なんて感じになってたのかな。

 

今年、この時期にやけに気になっているのが竹たちです。

この時期にこんな姿で伸びていたのかな、

とはじめて気づかされる竹の子がシューッと伸びたような釣り竿のような竹たちの姿です。

あたかも、地面から放水でもしているかのように竹林の中のいたるところに見受けられます。

スーッと伸びた後、ラジオ体操の深呼吸のように手を少しずつ広げていきます。

七夕の季節、季節かどうかは定かではありませんが、少なくとも竹の成長が目に付く季節ではあります。

竹を眺めていると、不思議と蛇を連想します。

やぶへび、という言葉があるためか、

竹のすごい勢いの成長が緑の色と相まって、緑の大蛇を連想させるのか。

この緑の中で、真っ赤な舌がちらちらした日にはたまらない感じです。

どこからやってきたとも知れないこのイメージは私の脳裏を支配しています。

 

そう、この時期延びるのは竹だけではなく、田んぼの雑草もです。

母がそろそろ痺れを切らし、

「あぜ草いつ切るのかぁ〜、あぜ草いつ切るのかぁ〜。」と呪文のように唱え始めます。

雨の合間を縫って、田んぼに出かけていきます。

今使っている草刈機はエンジンと丸刃がフレキシブルなジョイント

(いわゆる自在に曲がるチューブのようなもの)で繋がれていて、

エンジンが回転しているときは中身の詰まった蛇のようです。

ブワーンと回転する丸刃を前後左右に動かしながら、結構伸びた草を刈っていきます。

結構足の先の近いところまでくるので、かなり危険です。

ほかの誰にもさせたくはありません。

結構、いろんなことを想像しながら作業が進んでいきます。

決死な感じで、いつも「恐怖映画を見なくても十分スリルは味わえるよな。」と考えてしまいます。

危ないのでしょうが、作業中、いろんなことを考えてしまいます。

昔の思いが急に出てきたり、眠くなってきたときの状態に少し似ています。

よく囚われる思いがあります。

草の下に蛇がいるイメージです。

藪の中ならぬあぜの中です。

何度も何度も蛇が見えてドキッとします。

たぶん誰かが、魔法にかけているのかもしれません。

そう、今は蛇の季節かもしれません。

木々の成長はすでに止まっているのに、竹や草たちが下から下から突き上げてきます。

あたかもその下に大きな蛇がとぐろを巻きながらうごめいているような、

そんなエネルギーに満ちているのかもしれません。

そう、湿気も多いし。

 

 

この時期大蛇退治の祭りがあるとある新聞の片隅で見ました。

爆竹が鳴り響き、松明の火の粉が飛び、裸の男たちが体をぶっつけあい、水がかかり、

大樽の酒が振舞われ、大蛇は少し酔いが回り赤い目が据わり大トラならぬ大大蛇となり竹林の中で舞い踊る。

ここまで書いてハタと気がつく「そういえば藪の中に隠れているのは、蛇だけじゃない。

目に見えている竹の下にはすべてをつなげる竹の地下茎がとぐろを巻いているじゃないか。」

「うーん、やっぱし西洋のドラゴンとは違うかんじだな〜」

なんだか、いろんなものが混在して酔っ払った感じになってしまいそうです。

「子供のころ田植えのときにお酒をもらっていたのがいけなかったかな?」

とてもじゃないけれど、

影を追いかけるなんて

そんなことはできゃしない。

だって、どこにも影がないんですから。

 

2006.07.07.

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